第 6 章 ― ただ生きるのではなく、よく生きる
6-5
いまここに、生きる
小さな選択の積み重ねが、人生を作ると書いた。
その選択を、自分の手で選ぶためには、何が必要か。
ひとつの大事な土台がある。
それは、いまここに、自分の意識が戻ってきていること、である。
この節では、「いまここに、生きる」というテーマを、扱いたい。
人の意識は、いつも、いまここにあるわけではない
まず、ひとつの事実から始めたい。
人の意識は、いつも、いまここにあるわけではない。
起きてから寝るまで、人の意識は、絶えず、過去と未来を行き来している。
「あのとき、ああ言えばよかった」 ― これは、過去への意識。
「明日のあの会議、うまくいくだろうか」 ― これは、未来への意識。
「あの人は、いま私のことを、どう思っているだろう」 ― これは、別の場所への意識。
体は、いまここに、確かにある。
だが、意識は、絶えず、別の場所にいる。
仕事をしているはずなのに、頭の中では、昨日の出来事を反芻している。
食事をしているはずなのに、明日のことを考えている。
家族と話しているはずなのに、SNSの誰かのことを思っている。
私たちは、思っているよりもずっと多くの時間を、いまここの「外」で過ごしている。
過去や未来や、別の場所に、意識が取られすぎている
そして、現代では、この「いまここの外」への意識が、特に強くなっている。
過去への意識は、後悔や反省として、立ち上がる。
未来への意識は、不安や心配として、立ち上がる。
別の場所への意識は、他人の目や、SNSのざわめきとして、立ち上がる。
これらは、必要なときには、大事な機能である。
過去を振り返ることで、人は学ぶ。
未来を予測することで、人は備えられる。
他人の視点を持つことで、人は社会的に振る舞える。
これらの機能を否定するつもりは、ない。
だが、現代の人は、これらに意識を取られすぎている。
朝起きた瞬間からスマホを開き、他人の人生を見る。
通勤中も、頭の中では明日の心配と、過去の反省が回り続けている。
寝る前まで、明日のことが頭を離れない。
結果として、いまこの瞬間に、意識が戻ってこなくなっている。
過去にも未来にも、実体はない
ここで、ひとつ、立ち止まって考えてみたい。
過去にも未来にも、実体はない。
過去は、もう存在していない。残っているのは、記憶という、頭の中の像だけ。
未来は、まだ存在していない。あるのは、予測という、頭の中の像だけ。
実体として存在しているのは、いまここ、だけである。
自分が、本当に生きているのは、いまこの瞬間だけ。
昨日の自分を、いま生きることはできない。明日の自分を、いま生きることもできない。
生きられるのは、いま、ここだけ。
過去や未来の意識に取られているとき、人は、生きている時間を、生きていない。
身体は、いまここにある。
だが、意識が別の場所にいるとき、いまここの自分は、ある意味で、空っぽになっている。
これは、考えてみると、不思議なことである。
唯一実体のある「いまここ」を、私たちは、頻繁に、留守にしている。
いまここに、戻ってくる
ここで、ひとつ、はっきり書いておきたいことがある。
「いまここに、生きる」というのは、過去や未来を考えないこと、ではない。
過去や未来を、考えるべきときに考える ― これは、大事な営みである。
反省すべきときには、反省する。
備えるべきときには、備える。
これらを、否定する必要はない。
だが、考えるべきでないときに、考え続けることをやめる。
振り返るべきでないことを、いつまでも反芻するのをやめる。
心配する意味のないことを、ずっと心配するのをやめる。
いつでも、自分の意識を、いまここに戻せるようになる。
これが、いまここに、生きるということ、である。
何かを「やめる」のではなく、「戻ってくる」
ここで、WellGrowが大事にしている、ひとつの視点を共有したい。
一般的なマインドフルネスや瞑想の話では、しばしば「思考をやめる」「心を無にする」と語られる。
だが、思考をやめるのは、難しい。
やめようとするほど、思考は止まらなくなる。
「考えるな」と自分に命じるほど、頭は考え続ける。
これは、誰もが経験している、心の不思議な性質である。
WellGrowが提案するのは、思考を「やめる」のではない。
いまここに「戻ってくる」こと、である。
思考は、自然に立ち上がってくる。それでいい。
過去のことが、頭に浮かんでくる。それでいい。
未来の心配が、ふと湧き上がる。それでもいい。
ただ、ふと気づいたときに、いまここに戻ってくる。
「あ、いま、自分は過去のことを考えていたな」と気づいた瞬間に、ふっと、いまに戻ってくる。
その繰り返しで、いまここに戻ってくる回数が、増えていく。
完璧にいまここにいる必要はない。
ただ、戻ってくる回数を、増やしていく。
これが、WellGrowの提案する、いまここの実践である。
いまここに戻ってくると、何が立ち上がるか
いまここに戻ってくることで、何が起きるのか。
3つのことが、立ち上がってくる。
1つめは、自分の本当の感覚に、気づけるようになること。
過去や未来に意識を取られているあいだ、自分のいまの感覚は、見えなくなっている。
「いま、自分は何を感じているか」
「いま、体はどう感じているか」
「いま、心はどんな状態か」
これらは、いまここに意識が戻ってきて、はじめて見えてくる。
ふと、いまに戻ってくると、自分の中に、いままで気づかなかった感覚が、立ち上がっていることに気づく。
肩が、いつのまにか緊張していた。
心の奥に、小さな不安が、ずっと潜んでいた。
体が、思っていたよりも疲れていた。
これらは、いまここに戻ってきたからこそ、見えてくる。
2つめは、自分の本当の意思に、気づけるようになること。
過去の後悔や、未来の不安や、他人の目に取られた意識の下では、自分の本当の意思は見えない。
騒がしい層に覆われていて、奥の声が、聞こえないのである。
ところが、いまここに戻ってくると、騒がしい層が、ふっと静かになる。
その静けさの中で、自分の本当の声が、少しずつ聞こえ始める。
5-2で扱った「意思の認識」も、いまここに戻ってくる、この感覚が土台にある。
自分の意思に耳を傾けるためには、まず、いまここに帰ってきている必要がある。
3つめは、目の前の選択を、自分の手で選べるようになること。
6-4で扱った「小さな選択」も、いまここに意識が戻ってきていなければ、流された選択になる。
意識が過去や未来にあるとき、目の前の選択は、無自覚に処理されてしまう。
だが、いまここに戻ってきているからこそ、目の前の選択を、自分の意思で、自分の手で選べる。
「いま、自分は、何を選びたいか」
この問いに答えるためには、いまここに、意識が戻ってきている必要がある。
いまここに戻ってくる、ふたつの入口
では、どうすれば、いまここに戻ってこられるのか。
ふたつの入口を、共有しておきたい。
1つめは、体の感覚に、意識を戻すこと。
体は、いつも、いまここにある。
頭は、過去や未来に行ってしまうことがある。
だが、体は、必ず、いまここにいる。
体の感覚 ― 足が床についている感覚、手の温かさ、呼吸が流れている感覚、肩の重み、首の角度 ― これらは、すべて、いまここにしかない。
体の感覚に、ふと意識を戻すと、意識もまた、いまここに戻ってくる。
椅子に座っているなら、椅子に触れている背中や、お尻の感覚に、意識を向けてみる。
歩いているなら、足の裏が地面に触れている感覚に、意識を向けてみる。
立っているなら、体が地面に立っている、その重みに、意識を向けてみる。
それだけで、ふっと、意識が、いまここに戻ってくる。
2つめは、五感の中の、ひとつを開くこと。
3-5で扱った「集中する」を、ここで思い出してほしい。
目の前のものを、ちゃんと見る。
聞こえているものを、ちゃんと聞く。
触れているものの感触を、ちゃんと感じる。
香りを、ちゃんと嗅ぐ。
口の中の味を、ちゃんと味わう。
ふだん、私たちは、五感を「使っているつもり」になっている。
だが、丁寧に開いていない。
五感のひとつを、ちゃんと開くこと。
これが、いまここへの、もうひとつの入口になる。
いまここに、戻ってくる ― この営みは、毎日、何度でもできる
いまここに、戻ってくる。
この営みは、毎日、何度でもできる。
特別な時間も、場所も、いらない。
朝、コーヒーを飲むとき、その香りに、ちゃんと意識を向ける。
通勤の途中、ふと立ち止まって、空を見上げる。
人と話すとき、相手の表情に、ちゃんと意識を向ける。
食事のとき、味を、ゆっくり感じる。
寝る前、布団の感触に、意識を戻す。
毎日、何度でも、いまここに戻ってくる練習はできる。
完璧にできなくていい。
ずっといまここにいる必要もない。
大事なのは、「戻ってきた」という気づきの回数を、増やしていくこと。
朝に1回、通勤中に1回、ランチのときに1回 ― そんなふうに、戻ってくる回数を、少しずつ増やしていく。
その積み重ねが、自分の中の「いまここ」を、ゆっくりと、深めていく。
いまここに、生きるということ
ここで、もう一度、書いておきたい。
過去にも未来にも、意識を向けてはいけないわけではない。
振り返るべきときには、過去を振り返る。
備えるべきときには、未来を構想する。
これらは、大事な営みである。
だが、過去と未来に「取られすぎる」のではなく、自分の意識として、扱えるようになる。
そして、いつでも、いまここに戻ってこられるようになる。
これが、いまここに、生きるということ、である。
過去にも、未来にも、自分の意識で、行ったり来たりできる。
だが、軸足は、いつも、いまここにある。
必要があれば、過去にも未来にも、行ける。
だが、いつでも、いまここに、帰ってこられる。
この自由さが、いまここに生きる、ということの本当の姿である。
いまここに、生きることが、よく生きることの土台になる
ここで、第6章全体の中で、この節がどう位置づけられるかを、書いておきたい。
6-1から6-4まで、よく生きるための具体的な姿勢を見てきた。
悩みを扱う(6-1)。
意味を見出す(6-2)。
問いを持つ(6-3)。
小さな選択を、自分の手で選ぶ(6-4)。
これらすべては、いまここに意識が戻ってきていなければ、できないことである。
過去への後悔や、未来への不安に意識を取られているとき、悩みは、扱えない。
いまここに戻ってきていないとき、目の前の出来事に、新しい意味を見出すことはできない。
意識が散漫なとき、新しい問いを立てることはできない。
いまここに戻ってきていない選択は、流された選択になる。
いまここに戻ってくることが、すべての土台にある。
第6章の他の節は、それぞれが大事な視点だが、いまここがなければ、どれも実現できない。
そして、第3章から第5章で見てきた、すべての意識の技術も、結局のところ、いまここに戻ってくる、という根本の上に立っている。
次の節へ
次の節(6-6)では、こうしていまここに戻ってきたうえで、もう一度、思想ページの中心思想に戻りたい。
主体的に意思をもって、創造的に生きる ― この、WellGrowの中心にある思想に、最後にもう一度、向き合っていく。
その話に、進んでいきたい。