第 4 章 ― 意識を、使う
4-5
メンタルモデルとは何か ― 自分が世界に当てている「型」
第4章第1部では、ことばで意識をコントロールする技術を見てきた。
ことばは、強力な道具である。
問いを立て、名言をつぶやき、目標を書き出す。
これらを毎日続けるだけで、意識のスポットライトは、確実に動かせるようになる。
だが、ここで、もう一段深い問いに踏み込みたい。
そもそも、なぜ、人によって、いいことばを使える人と、ネガティブなことばばかり使ってしまう人がいるのか。
なぜ、ことばを変えようとしても、すぐに元のことばに戻ってしまうのか。
なぜ、同じ場面でも、ある人は希望のことばを選び、ある人は絶望のことばを選ぶのか。
その答えは、ことばよりも、もっと深い層にある。
私たちが、自分でも気づかないうちに持っている、世界に対する根本的な前提 ― そこに、ある。
その前提のことを、「メンタルモデル」と呼ぶ。
第4章第2部では、このメンタルモデルに、踏み込んでいきたい。
人は誰でも、自分なりの「世界の捉え方」を持っている
人と話していて、こう感じたことはないだろうか。
「この人とは、見えている世界が、根本的に違う気がする」
同じ出来事を一緒に体験しても、まったく違う感想を持つ。
同じニュースを見ても、まったく違う反応をする。
同じ人物について、まったく違う印象を語る。
ことばの違いや、意見の違いというより、もっと深いところで、世界の捉え方そのものが違っているように感じる ― そんな瞬間が、誰にでもある。
この「世界の捉え方」こそが、人をその人たらしめている、深い層の正体である。
そして、その捉え方の中核にあるのが、メンタルモデルである。
メンタルモデルとは
メンタルモデルとは、自分が無意識に持っている、世界の模型のことである。
「世界はこう動く」
「人はこう動く」
「自分はこういう人間だ」
こうした、自分が世界について抱いている、根本的な前提。
これが、メンタルモデルである。
別の言い方をすれば、自分が世界に当てている「型」、とも言える。
人は、世界をそのまま見ているのではない。
自分が持っている「型」を、世界に当てて、その型を通して、世界を見ている。
その型を通して見えた像が、その人にとっての「現実」になっている。
これが、メンタルモデルというものの、本質である。
メンタルモデルは、ことばや概念より、もっと深い層にある
ここで、これまで第3章で見てきた、いくつかの概念と整理しておきたい。
ことば(3-6)は、思考の道具である。
私たちが考えるとき、ほとんどの場合、ことばを使って考えている。
ただ、ことばは、思考の表層にある道具である。
価値基準(3-8)は、何を大事にするかを示すものである。
ことばより、もう一段深いところにある。
何を選び、何を避けるかを決める、判断の核になる。
潜在意識(3-9)は、自覚されていない領域、心の器そのものである。
意識の95%を占めるとも言われる、目に見えない領域。
そして、メンタルモデルは、これらとも違う、もうひとつの層にある。
メンタルモデルは、世界がどう動くかについての、自分の前提である。
潜在意識の中に潜んでいる、世界の構造についての無意識の信念、と言ってもいい。
これら4つは、それぞれ違う層にあって、お互いに深く関わり合っている。
ことばが、価値基準を作っていく面もあれば、メンタルモデルがことばを選ばせている面もある。
潜在意識の中に、価値基準もメンタルモデルも収まっている。
それでも、ひとつずつ、別の概念として理解しておく価値はある。
特に、メンタルモデルは、これまで思想ページで扱ってこなかった、もうひとつの大事な層である。
価値基準とメンタルモデルの違い
ここで、もう少し近い概念の、価値基準とメンタルモデルの違いを、はっきりさせておきたい。
両者は、似ているようで、別物である。
価値基準は、「何を大事にするか」である。
メンタルモデルは、「世界がどう動くと思っているか」である。
具体例で見てみたい。
「家族を大事にしたい」 ― これは、価値基準である。
何を大事にするか、という、自分の選択を示している。
一方、「家族とは、こうあるべきもの」「家族は、互いに支え合うもの」 ― これは、メンタルモデルである。
家族とはどういう存在か、どう動くものかについての、自分の前提を示している。
両者は密接に関わっている。
「家族を大事にしたい」という価値基準を持つ人は、「家族は支え合うもの」というメンタルモデルを、しばしば一緒に持っている。
だが、別物として見るほうが、自分を扱うときに役に立つ。
価値基準は、自分が選んだもの。
メンタルモデルは、自分が無意識に前提としているもの。
この区別を持っておくと、自分を点検するときの解像度が、ぐっと上がる。
メンタルモデルは、見える世界そのものを作っている
ここから、メンタルモデルの、もっとも重要な性質に入っていきたい。
メンタルモデルは、自分に見える世界そのものを、作っている。
これは、極端な言い方ではなく、誰の毎日にも起きている事実である。
「世界は危険だ」というメンタルモデルを持っている人には、世界が危険に見える。
ニュースを見ても、危険な事件ばかりが目に入る。人と会っても、相手のどこかに警戒すべきサインを見つけてしまう。歩いていても、何かが起きるかもしれない、と身構えている。
「世界は基本的にいい場所だ」というメンタルモデルを持っている人には、同じ世界が、まったく違って見える。
ニュースを見ても、誰かの善意の話に目が止まる。人と会っても、まず信頼から入る。歩いていても、出会いがあるかもしれない、と心が開いている。
同じ場所、同じ時代、同じ出来事に囲まれていても、メンタルモデルが違えば、見える景色は、まったく違うものになる。
これは、第3章で見た注意のスポットライト(3-5)や予測する脳(3-3)の話とも、深くつながっている。
メンタルモデルが、注意のスポットライトを向ける方向を決め、未来の予測の前提を決め、結果として、見える世界を作っていく。
メンタルモデルが、感情を生み、行動を決めている
そして、見える世界が違えば、立ち上がる感情も、選ばれる行動も、まったく違ってくる。
「人は信用できない」というメンタルモデルを持っている人。
新しい人と出会うとき、自然と警戒の感情が立ち上がる。
相手の善意も、何かの裏があるのではないか、と疑ってしまう。
結果として、防御的な態度を取る行動が、選ばれていく。
「人は基本的にいい人だ」というメンタルモデルを持っている人。
新しい人と出会うとき、自然と開かれた感情が立ち上がる。
相手のことを、まず信頼してみよう、と思える。
結果として、開かれた態度で関わる行動が、選ばれていく。
同じ相手と出会っても、メンタルモデルが違えば、立ち上がる感情も、選ばれる行動も、まったく別物になる。
そして、その感情と行動の積み重ねが、人生をまったく違う方向に運んでいく。
怖いのは、メンタルモデルが、無意識に働いていること
ここで、メンタルモデルの、もっとも厄介な性質を共有しておきたい。
メンタルモデルは、無意識に働いている。
自分が、どんなメンタルモデルを持っているか。
ほとんどの場合、自分でも気づいていない。
ただ、それを通して世界を見ている。
そして、そう見えていることを、「これが現実だ」と思い込んでしまう。
本当は、自分の前提が、世界をそう見せているだけなのに。
別の前提を持っていれば、まったく違う世界が見えるのに。
そこに気づかないまま、自分が見ている景色を、現実そのものだと信じ込んでいる。
これが、メンタルモデルというものの、本当の怖さである。
あなたも、私も、誰もが、それぞれの「型」を世界に当てて、それを通して見えた像を、現実だと思い込んで生きている。
そこに気づくことすら、なかなか難しい。
メンタルモデルに気づけるかどうかが、決定的に重要
ここから、第4章第2部全体のメッセージを書きたい。
自分のメンタルモデルに気づけるかどうかが、自分を扱うううえで、決定的に重要である。
なぜなら、メンタルモデルに気づけないかぎり、自分の見ている世界を「絶対的な現実」だと信じてしまうからである。
そうなると、ことばを変えても、行動を変えようとしても、根本的なところで何も変わらない。
ことばも行動も、根っこにあるメンタルモデルから生えてくるからである。
逆に、自分のメンタルモデルに気づけるようになると、世界はガラッと違って見え始める。
「いま、自分はこのメンタルモデルを通して、世界を見ているのだな」と、一歩引いて眺められるようになる。
そして、必要なら、メンタルモデル自体を、書き換えていくことができる。
これが、ことばよりも一段深い層での、自分を扱う技術である。
次の節では、このメンタルモデルがどうやって作られているのかを、もっと具体的に見ていきたい。
「推論のはしご」という、人がどう事実から信念にたどり着いているかの構造に、踏み込んでいく。