第 3 章 ― 意識の構造を、知る
3-8
価値基準とは ― 何に価値を感じるか
前の節で、記憶がシミュレーターとして働き、未来の判断を作っているという話をした。
だが、判断は、記憶だけからは生まれない。
もうひとつ、決定的に重要な要素がある。
それが、価値基準である。
同じ記憶を持っていても、価値基準が違えば、判断はまったく違ってくる。
ここから、その「価値基準」というものに、深く入っていきたい。
私たちは毎日、無数の判断をしている
朝、目を覚ましてから、夜、眠るまで。
私たちは、絶え間なく判断を続けている。
何を着るか。何を食べるか。
どの道を通って、いつ出発するか。
仕事の優先順位を、どうつけるか。
メッセージにどう返事をするか。
今日の残り時間を、何に使うか。
意識して判断していることもあれば、無意識に判断していることもある。
だが、起きている間、私たちは判断をやめることができない。
そして、その判断の奥には、必ず「価値基準」がある。
何を選び、何を避けるか。
何を大事にし、何を後回しにするか。
これらの背後には、いつも、自分の価値基準が働いている。
価値基準が、人生の方向を、決めている。
価値基準とは
では、価値基準とは、具体的に何なのか。
それは、こう言い換えることができる。
自分が、何に価値を感じるか。
何を良いとし、何を大切にしたいか。
どんな人間でありたいか、どう生きたいか。
これらの「自分の中の答え」が、価値基準である。
価値基準は、外から与えられるものではない。
誰かに「これを大事にしなさい」と言われて、決めるものではない。
自分の心の奥にある、「こうありたい」「これは譲れない」という感覚。
それを、少しずつ言語化していくことで、価値基準は輪郭を持ってくる。
同じ出来事でも、価値基準が違えば、受け取り方はまったく変わる
価値基準の働きを、身近な例で見てみたい。
朝、起きたら雨が降っていた。
これは、ただの出来事である。
だが、この同じ出来事を、人はまったく違うふうに受け取る。
「外で活動することに価値を置く人」にとっては、雨は残念な知らせである。
予定していた散歩や、外出が、できなくなる。気分が落ちる。
一方、「静かな時間に価値を置く人」にとっては、雨は嬉しい知らせである。
家でゆっくり過ごす言い訳ができる。雨音を聞きながら、本を読める。
出来事は、同じ雨である。
だが、価値基準が違うから、体験がまったく違うものになる。
これが、価値基準のはたらきの本質である。
私たちは、出来事をそのまま体験しているのではない。
価値基準というフィルターを通して、出来事を体験している。
そのフィルターを変えれば、見える景色が変わる。
「価値がある」とは、どういうことか
ここで、もう少し深い問いに進みたい。
そもそも「価値がある」とは、どういうことなのか。
価値とは、誰かが決めた正解ではない。
「これに価値がある」と万人にとって定まったものは、存在しない。
ある人にとっての価値が、別の人にとっては価値ではない、ということは、いくらでもある。
価値は、客観的なものではない。
価値は、自分の心の奥にある、「こうありたい」という方向のことである。
この捉え方を、ひとつの心理療法が、はっきりと体系化している。
ACT、アクセプタンス&コミットメント・セラピーである。
ACTでは、価値を「人生の羅針盤」と捉える。
どっちに向かいたいのか。
何を大切にして生きたいのか。
これが、人生の羅針盤としての価値である。
羅針盤は、目的地ではない。
方向を示すものである。
そして、その方向に、自分の人生を進めていく指針になる。
価値と目標は、違う
ここで、しばしば混同されやすい「価値」と「目標」を、はっきり区別しておきたい。
これは、人生の解像度を上げるうえで、決定的に重要な区別である。
目標は、達成すると終わるものである。
資格を取る。家を買う。年収を上げる。本を出版する。
こうした目標は、達成された時点で、ひとつの区切りがつく。
一方、価値は、達成されることがない。
誠実でありたい。人を大切にしたい。学び続けたい。誰かの役に立ちたい。
こうした価値は、いくら誠実に生きても、「もう十分」と終わることはない。
明日も明後日も、続いていく方向である。
別の言い方をすれば、こうである。
目標は、通過点である。
価値は、道そのものである。
目標を達成しても、その後の人生は続いていく。
そのとき、次の一歩をどっちに踏み出すか。
それを導いてくれるのが、価値なのである。
価値は、目標を達成したあとも、次の一歩を導き続ける。
だからこそ、価値は、人生の羅針盤と呼ばれるのである。
価値基準は、多くの場合、自分でも気づかないまま機能している
ここで、ひとつ厄介な事実を共有したい。
価値基準は、ほとんどの場合、自覚されないまま、人を動かしている。
私たちは、自分の価値基準を、自分でちゃんと言語化したことがない。
それなのに、毎日の判断は、その価値基準に従って下されている。
ふしぎな話だが、これが実情である。
価値基準は、長い時間をかけて、少しずつ形成される。
過去の記憶(3-7)から、自然と立ち上がってきたものもある。
親から無意識に受け取ったものもある。
社会や文化から、知らず知らずのうちに身につけたものもある。
学校教育やメディアから、染み込んできたものもある。
これらが混ざり合って、いまの自分の価値基準ができている。
そして、その中には、本当に自分が大切にしたいものもあれば、ただ周りから受け取っただけのものも混じっている。
だからこそ、一度立ち止まって、自分の価値基準を見つめ直す必要がある。
何が本当に自分のもので、何がただ受け取っただけのものなのか。
これを、自分で点検する時間が、人生のどこかで必要になる。
WellGrowの立場
WellGrowは、この「価値」を、何より大事にしている。
WellGrowの立場は、シンプルである。
その人にとって、価値ある人生を歩むことが、よい人生である。
万人にとっての正解はない。
誰かに決められた成功の物差しでも、社会が押し付けてくる正解でもない。
その人自身が、自分の価値を理解し、その価値ある方向に、意識を向けていけること。
これが、よい人生のかたちである。
だから、WellGrowは、ユーザーが自分の価値を理解できるように、毎日の対話を設計している。
そして、その価値ある方向に、日々の意識を向け直せるように、伴走している。
価値を理解することは、人生において、最も大事な営みのひとつである。
価値が見えていないと、何をやっても、どこか満たされない。
価値が見えていれば、たとえ目立たない毎日でも、深い充実が宿る。
価値基準を見つめ直す問い
最後に、価値基準を見つめ直すための問いを、いくつか置いておきたい。
これらの問いに、すぐ答えが出る必要はない。
ただ、心の中で抱えて、いつもどこかで考え続けてみてほしい。
「自分は、なぜこれを良いと感じているのか」
「自分は、本当は、どう在りたいのか」
「他人の価値基準ではなく、自分の価値基準は何か」
こうした問いに、ゆっくり向き合っていく時間こそが、自分の羅針盤を、少しずつ浮かび上がらせていく。
そして、これらの問いに、毎日の対話の中で寄り添うのが、WellGrowの役割である。
次の節では、この価値基準が、もっと深いところでどう機能しているのかを見ていきたい。
意識の95%は、無意識のうちに動いている、と言われる。
その無意識という巨大な領域に、私たちはどう関わっていけるのかという話である。