第 3 章 ― 意識の構造を、知る
3-7
記憶 ― あなたの中のシミュレーター
前の節で、概念を意識的に選ぶことが、思考の質を変えるという話をした。
では、その概念は、どこからやってくるのか。
私たちが何かを考えるとき、その材料は、どこから引き出されているのか。
答えは、ひとつしかない。
過去の記憶からである。
ここから、「記憶」というものに、深く入っていきたい。
記憶は、ただの過去の貯蔵庫ではない。
それは、未来を予測するための、強力なシミュレーターなのである。
人間は、過去の体験を膨大に蓄積している
私たちは、生まれてから今日まで、無数の体験をしてきた。
朝食を食べた記憶。
親に叱られた記憶。
友達と笑った記憶。
仕事でうまくいった記憶。
失敗してへこんだ記憶。
意識して思い出せるのは、その中のごく一部だけである。
だが、思い出せない記憶も、消えているわけではない。
脳の奥深くで、膨大な量の体験が、ずっと蓄積され続けている。
これを、私たちは「記憶」と呼ぶ。
記憶の中身は、ただの出来事の羅列ではない。
そこには、いくつかの要素が、セットで保存されている。
過去に経験した出来事。
そのときの感情。
そのときの判断と結果。
そこから自分なりに引き出した教訓。
これらが、ひとつの記憶のユニットとして、束ねられて保存されている。
そして、必要なときに、必要なものが引き出されてくる。
記憶は、シミュレーターとして働く
ここで、記憶の本当の働きに、注目したい。
記憶は、過去を懐かしむためにあるのではない。
記憶は、未来を予測するためにある。
新しい状況に出会ったとき、脳は何をしているか。
似たような過去の体験を、記憶の中から呼び出している。
「以前、こういう場面でこうしたら、こうなった」
「あのとき、こんなふうに感じたな」
「これは、あの状況に似ている」
こうした記憶を、瞬時に引き出して、参照している。
そして、「このパターンは、こうなるだろう」と予測する。
その予測に基づいて、感情が立ち上がる。
その予測に基づいて、行動が選ばれる。
つまり、過去の体験が、未来の判断を決めている。
ここは、前の節で見た「予測する脳」(3-3)と、深くつながっている。
脳は予測マシンだと書いた。
その予測の材料が、どこから来ているのかというと、すべて記憶から来ているのである。
記憶は、過去のものではなく、未来を作っているものなのだ。
記憶が豊かな人ほど、予測の精度が高い
ここから、ひとつの示唆が出てくる。
豊かな記憶を持っている人ほど、予測の精度は高くなる。
経験豊富な医者は、症状を見ただけで「これは○○かもしれない」と予測できる。
熟練の職人は、材料を触っただけで「これは扱いが難しい」と予測できる。
人生経験を積んだ人は、若い人の悩みを聞いて「この先こうなるかもしれない」と予測できる。
これらは、すべて記憶の力である。
膨大な過去の体験が、シミュレーターとして働き、目の前の状況に対する予測を生み出している。
だから、年齢を重ねることや、経験を積むことには、ちゃんとした価値がある。
ただ知識を増やすだけでなく、体験を記憶として蓄積することそのものが、予測の精度を上げていく。
ただし、記憶には偏りがある
ここで、記憶のもうひとつの側面を見ておきたい。
記憶は、すべての体験を、均等に保存しているわけではない。
記憶には、偏りがある。
特に強く記録されるのが、強い不快体験である。
これは、生存のためには合理的な仕組みである。
「ここで危険な目に遭った」「あの人にこう言われて深く傷ついた」という体験は、強く記憶に刻まれる。
そして、似た状況に出会うと、自動的に防御反応が立ち上がる。
これが、いわゆるトラウマの仕組みでもある。
問題は、この防御反応が、過剰に働いてしまうことがある、ということである。
似た状況に出会っただけで、現実より過去のデータが優先されてしまう。
「いまここ」の現実より、「あのときの記憶」のほうが、感情と行動を支配してしまう。
たとえば、過去に上司に厳しく叱られた経験がある人は、別の上司の少しの渋い表情を、批判のサインに見てしまう。
過去に失恋した経験から、新しい関係でも、相手の小さなそっけなさに過剰に反応してしまう。
現実は別物なのに、過去の記憶が、いまの判断を歪めてしまう。
これは、記憶のシミュレーターとしての働きの、副作用である。
大事なのは、記憶を書き換えることではなく、記憶の使い方を変えること
ここで、よくある誤解を解いておきたい。
「過去のつらい記憶を、消したい」
「ネガティブな記憶を、書き換えたい」
こう思う人は多い。
だが、結論から言うと、記憶そのものを消したり、書き換えたりする必要はない。
そもそも、記憶を意図的に消すことは、ほとんどできない。
書き換えようとしても、すぐに元に戻ってしまう。
そして何より、記憶を消す必要は、本当はない。
変えるべきは、記憶そのものではなく、記憶の使い方なのである。
同じ記憶を持っていても、どれを、どう使うかで、未来の判断はまったく変わってくる。
ここで、自分に問うてみてほしい。
自分は、ネガティブな記憶ばかりを呼び出していないか。
「あのときも失敗した」「前もうまくいかなかった」と、つらい記憶を繰り返し参照していないか。
一方で、成功体験や、うまくいった記憶を、もっと使える場面はないだろうか。
「あのとき、自分はちゃんとできた」「前にも、こういう状況を乗り越えた」と、自分を支える記憶を、意識的に呼び出せているか。
記憶という巨大な貯蔵庫の中から、どれを引き出して、いまの予測に使うか。
ここに、人間の主体性が宿っている。
いい記憶を意識的に呼び出すことで、予測の質は上がる。
予測の質が上がれば、感情と行動の質も上がっていく。
これが、自分を変えるということの正体
ここで、第3章でずっと底に流れているテーマに、ひとつの答えを置きたい。
「自分を変える」とは、いったい何をすることなのか。
過去を消すことではない。
記憶を書き換えることでもない。
別の自分になることでもない。
過去は変わらない。
だが、過去の使い方は、変えられる。
どの記憶を、どんな場面で、どんなふうに引き出すか。
これを、自分で選び直していく。
それが、自分を変えるということの、本当の正体である。
WellGrowが、毎日の対話で関わっているのも、ここの部分である。
ユーザーが、どんな記憶をどう使っているかに、少しずつ気づけるように。
そして、もっと自分を支える記憶の使い方ができるように。
こうしたやりとりを、毎日少しずつ重ねていく。
過去は変えられないが、過去をどう使うかは、いまの自分が決めている。
ここに気づくだけで、人生はずいぶんと、自由になる。
次の節では、この記憶を素材にして、私たちがどう「判断」を作っているのかを見ていきたい。
記憶と価値基準が組み合わさることで、私たちのすべての判断が生まれている。
そこに、もう一段深く入っていく。