第 3 章 ― 意識の構造を、知る
3-6
思考と概念
前の節で、注意のスポットライトを意図的に絞ることが、集中だと見てきた。
では、そのスポットライトを当てたあと、私たちは何をしているのか。答えは、シンプルである。
考えているのである。
ここから、「考える」ということそのものに、踏み込んでいきたい。そして、そこには、ほとんどの人が見過ごしている、ひとつの大事な事実がある。
私たちは、ことばを使って、考えている。そして、どんなことばを持っているかで、考えられる中身が変わってくる。
思考において、ことばは大きな役割を果たしている
考えるとき、何が起きているか。
頭の中で、ことばが動いている。「これはどうしようか」「あの人はなぜあんなことを言ったのだろう」「次に何をすればいいか」こうしたことばが、頭の中を流れている。
もちろん、ことばだけで考えているわけではない。イメージや感覚や直感も、思考の一部である。ことばにならない「なんとなく」も、確かに思考の中にある。
ただ、複雑な思考や、抽象的な思考の多くは、ことばを使って行われている。これは、ほぼ間違いない。
動物も、簡単な判断はする。危険を察知する。仲間を見分ける。食べ物を選ぶ。こうした判断は、ことばを使わずとも、ある程度できる。
だが、抽象的な思考は、人間にしかできない。「正義とは何か」「来年の自分はどうなっているか」「この出来事には、どんな意味があるのか」こうしたことを考えられるのは、ことばを持っているからである。
ことばは、思考を進めるための、強力な道具なのである。
概念とは、世界を切り分ける単位
ここで、「ことば」と「概念」を、少し区別しておきたい。
ことばは、音や文字としての言語である。概念は、そのことばが指し示している、頭の中での区切り方である。
たとえば、「赤」ということばがある。このことばは、視覚の中に「赤」という概念があるから、機能する。
「赤」という概念があるから、私たちは、色の中から赤を見分けられる。もし「赤」という概念がなかったら、視界の中の赤は、ほかの色と一緒に溶けてしまう。
「悲しい」という概念も、同じである。「悲しい」という概念があるから、感情の中から、悲しさを切り分ける。
この概念がなければ、悲しみは、ただの「もやもや」のままで、形を持たない。
概念とは、連続している現実を、区切って取り出すはたらきを持つ。切れ目のない世界に、線を引いて、ひとつのまとまりとして認識する。これが、概念のはたらきである。
ことばは、その概念に与えられた名前である。
持っている概念によって、思考のしかたが変わる
ここから、重要な話に入っていく。
持っている概念によって、思考のしかたが変わる。
これは、抽象的に聞こえるかもしれない。だが、誰でも、日常で経験していることである。
たとえば、感情について考えてみたい。
「機嫌が悪い」ということばしか持たない人は、自分の感情を「機嫌が悪い」としか扱えない。ぼんやりと、不快な状態がある。それだけである。
ところが、「苛立ち」「不機嫌」「焦り」「疲労」「失望」「不安」と、複数の概念を持っている人は違う。自分の状態を、もっと細かく区別できる。
「これは苛立ちじゃなくて、疲れだな」「これは不安に近いな」「焦りが先に立っていて、その下に失望がある」
このように、自分の状態を、より深く認識できるようになる。そして、深く認識できれば、それを抽象的に切り分けて、扱えるようになる。「これは苛立ちじゃなくて、疲れだな」と切り分けられれば、苛立ちには苛立ちの対処、疲労には疲労の対処を取ることができる。切り分けられなければ、「なんか嫌な気分だ」のまま、対処の方向が定まらない。つまり、概念を多く持つほど、自分の状態を、深く認識し、扱えるようになるのである。
つまり、概念を多く持つほど、自分の状態を扱える細かさが変わるのである。
これは、感情だけの話ではない。
専門的な世界では、もっと顕著に起きる。医者は、痛みを「鈍痛」「刺すような痛み」「うずく痛み」「灼けるような痛み」と区別する。だから、原因の見立てが、素人とはまったく違うレベルでできる。
エンジニアは、コードの問題を「メモリリーク」「レースコンディション」「デッドロック」と区別する。こうした概念を持っているから、深く思考し、深く対応できる。
固有のことばを知ることで、深く思考でき、深く活動できるようになる。これが、専門性というものの正体でもある。
ここに、見過ごされている問題がある
ここから、WellGrowが言いたいことに入っていく。
概念によって、思考の中身が変わる。これは、ここまで見てきた通りである。
ところが、私たちは、どの概念を使って考えるかを、ちゃんと選べていない。
朝起きてから夜寝るまで、絶えず考え続けている。だが、どんな概念を使って考えているか、自覚していない。無意識のうちに、手元にある概念で、なんとなく考えてしまっている。
たとえば、何かがうまくいかないとき。ある人は「自分はダメだ」という概念で、状況を捉える。別の人は「うまくいかない要因がいくつかある」という概念で、同じ状況を捉える。
使っている概念が違えば、見えてくる景色が違う。対処の方向も違う。そして、その後の人生が違う。
これほど大事なことなのに、私たちは、自分が使っている概念を、ほとんど点検していない。そのまま流してしまっている。
ここに、現代における、大きな盲点がある。
よい概念を使えば、よい思考ができる
WellGrowが、ここで主張したいことは、シンプルである。
人生において、有用な概念を選んで、思考できるようにすべきだ、ということ。
どの概念で考えるかを、意識的に選ぶ。無意識に手元にある概念で考えるのではなく、自分にとって有用な概念を、自分で選ぶ。
ここで言う「有用な概念」とは、ポジティブな言い換えのことではない。その概念を持っているだけで、思考の進め方そのものが変わる ― そういう種類の概念のことである。
たとえば、「仮説」という概念を持っている人と、持っていない人では、ものの捉え方が違う。
「仮説」という概念を持っている人は、こう考えられる。「これは、こうかもしれない。だとすれば、こう試してみよう」結論を急がず、検証する姿勢で、ものを進めていける。
「仮説」という概念を持っていない人は、見たものを、そのまま事実として受け取りやすい。「こうだ」と決めつけて、検証する発想が生まれにくい。
同じ状況に立っても、思考の進め方が、根本から違ってくる。
「逆算」という概念も、同じ性質を持っている。
「逆算」を知っている人は、目標から現在に戻して考えられる。「3年後にこうなりたいなら、1年後はこうで、半年後はこうで、いまはこう動こう」未来を起点に、現在の行動を組み立てられる。
「逆算」を知らないと、いまできることを積み上げる発想しかできず、目標まで届かないことも多い。
あるいは、ことわざもそうである。
「急がば回れ」を知っている人は、急ぎたい場面で、ふと立ち止まることができる。「転ばぬ先の杖」を知っている人は、まだ起きていない問題に、先回りして備えられる。「禍を転じて福と為す」を知っている人は、悪い出来事を、いい方向に活かす発想に向かえる。
ことわざは、先人たちが何百年もかけて磨いた、思考の道具である。ひとつ持つたびに、思考の引き出しがひとつ増える。
こうした概念をたくさん持っている人ほど、思考の選択肢が増え、ものごとに深く対応できるようになる。
そして、思考が変われば、感情が変わり、行動が変わり、人生が変わっていく。
よい概念を使えば、よい思考ができる。よくない概念を使えば、思考はそこに引きずられる。
そして、これは、生まれつきの才能ではない。どんな概念を持つか、どの概念を使うかは、訓練できる技術である。
WellGrowが、毎日の対話を通じて行っているのは、まさにこの訓練でもある。ユーザーが、自分の状況にどんな概念を当てているかに気づき、より有用な概念を選び直していけるように。こうしたやりとりを、毎日少しずつ重ねていけば、思考の質は、確実に変わっていく。
次の節では、私たちの思考と判断を作っているもう一つの大きな要素 ― 「記憶」に目を向けてみたい。
過去の体験は、私たちの中にどう蓄積され、どう未来の判断を作っているのか。
記憶という、誰もが当たり前に持っているものの正体に、踏み込んでいく。