第 4 章 ― 意識を、使う
4-6
推論のはしご ― 事実から信念までの階段
前の節で、メンタルモデルとは、自分が世界に当てている「型」だと書いた。
そして、それは無意識のうちに働いている、と書いた。
ここから、もう一段、深く踏み込みたい。
そもそも、そのメンタルモデルは、どうやって作られているのか。
無意識のうちに、私たちは、どんなプロセスを経て、自分の前提を築き上げているのか。
この問いに、ひとつのとてもわかりやすい答えを出した人がいる。
ハーバード大学の組織論研究者、クリス・アージリスである。
彼が1970年に提唱したのが、「推論のはしご(Ladder of Inference)」と呼ばれるモデルである。
後に、ピーター・センゲの『学習する組織』を通じて、世界中に広まった。
このモデルは、人間が事実から信念にたどり着くまでの、見えないプロセスを、ひとつの階段として見せてくれる。
これを理解すると、自分の中で何が起きているのかが、はっきりと見えるようになる。
同じ事実から、人はまったく違う結論にたどり着く
なぜ、私たちは、推論のはしごを知る必要があるのか。
それは、誰もが日常で体験している、ある不思議な現象を、説明してくれるからである。
同じ事実から、人はまったく違う結論にたどり着く。
たとえば、同じ会議に出ていた2人が、終わったあと、まったく違う感想を持っている。
ひとりは「いい会議だった」と感じ、もうひとりは「ひどい会議だった」と感じている。
事実としては、同じ場で、同じ会話を聞いていたはずである。
たとえば、同じ人物に対して、ある人は「優しい人だ」と感じ、別の人は「冷たい人だ」と感じる。
両者とも、その人物の実際の言動を見ている。
それなのに、結論はまったく逆になる。
これは、なぜなのか。
その理由は、人は事実から結論まで、長い階段を駆け上がっているからである。
そして、その階段の登り方が、人によってまったく違うからである。
推論のはしご ― 6段の階段
その階段は、こんなふうになっている。
1段目は、観察できる事実である。
誰でも同意できる、客観的な事象。
たとえば、「ある言葉が交わされた」「ある表情が見えた」「ある行動が取られた」 ― そういう、ビデオに撮れば誰の目にも映る事実。
ここは、誰にとっても共通の出発点である。
2段目は、その中から、何かを選び取ることである。
事実は、いつも膨大に存在している。
その全部を、人は処理できない。
だから、注意のスポットライト(3-5)を当てた部分だけを、自分の中に取り込む。
ここで、人によって、選び取るものが違ってくる。
3段目は、選んだものに、意味や解釈を加えることである。
取り込んだ事実は、そのままでは、ただの情報である。
そこに「これは~ということだろう」という意味づけが、自動的に加わる。
ここで、人によって、解釈の方向が違ってくる。
4段目は、解釈をもとに、結論を出すことである。
「だから、~ということだ」という、自分なりの結論。
ここまでくると、もう自分の中で、その出来事に対する判断が、固まりつつある。
5段目は、結論が積み重なって、信念になることである。
ひとつの結論は、そこで終わらない。
似た結論が、何度も積み重なるうちに、「~とは、こういうものだ」という大きな信念に成長していく。
これが、メンタルモデルである。
6段目は、そのメンタルモデルが、次の観察に影響を与えることである。
できあがったメンタルモデルは、次に同じような場面に出会ったとき、何を選び取るか(2段目)を、自動的に決めていく。
こうして、ループが回り始める。
この6段の階段を、人は、ことが起きるたびに、無意識のうちに駆け上っている。
例 ― 同僚があいさつを返してくれなかった場面
具体的に、ひとつの場面で見てみたい。
朝、職場で、同僚に「おはよう」と声をかけた。
ところが、相手は、何も返してくれなかった。
この瞬間から、推論のはしごが、駆け上られ始める。
1段目 ― 事実。
「あいさつをしたが、返事がなかった」
これは、ビデオで撮れば誰でも確認できる、客観的な事実である。
2段目 ― 選び取る。
ここで、注意がどこに向くかで、進む方向が決まる。
ある人は、「無視された」という側面に注目する。
別の人は、「何か考えごとに集中していたのかな」という側面に注目する。
さらに別の人は、「今朝はいつもより少し早かったから、まだ眠そうだったな」という側面に注目する。
事実は同じでも、何を選び取るかが、ここで分岐していく。
3段目 ― 解釈。
「無視された」を選んだ人は、「自分を嫌っているのかもしれない」と解釈する。
「考えごと」を選んだ人は、「大事な案件で頭がいっぱいなのだろう」と解釈する。
ここで、解釈の方向が、さらに違ってくる。
4段目 ― 結論。
「あの人は冷たい人だ」 ― ひとりは、こんな結論にたどり着く。
「あの人は、仕事に集中する真面目な人だ」 ― もうひとりは、まったく違う結論にたどり着く。
5段目 ― 信念。
こうした結論が、ほかの場面でも、何度か積み重なっていく。
やがて、「人は信用できない」という、大きな信念ができあがっていく。
あるいは、「人にはそれぞれ事情がある」という、別の信念ができあがっていく。
6段目 ― 次の観察。
できあがった信念が、明日、同じ同僚に出会ったときの、見え方を決めていく。
「人は信用できない」という信念を持つ人には、相手のあらゆる行動が、信用できない証拠に見え始める。
「やっぱり、今日も冷たい」と確信する。
ループが、もう一周、回り始める。
同じ事実から始まったのに、たどり着く場所がまったく違うのが、わかるはずである。
多くの場合、人は、この階段を一気に駆け上がっている
ここで、推論のはしごの、もっとも厄介な性質を共有しておきたい。
多くの場合、人は、この6段の階段を、一気に駆け上がっている。
事実を観察した次の瞬間には、もう、信念にまで到達している。
あいさつが返ってこなかった瞬間に、いきなり「あの人は冷たい人だ」と感じてしまう。
途中の段(選び取る・解釈・結論)を、自覚することがない。
これが、何を意味するか。
人は、「事実」と「自分の結論」を、区別できなくなっている。
自分の結論を、事実そのものだと、思い込んでしまう。
「あの人は冷たい」というのが、自分の解釈ではなく、客観的な真実だと信じ込んでしまう。
そして、自分の解釈を、相手や他人と共有しようとする。
「あの人は、冷たい人だよ」と、まるで事実を伝えるように、誰かに話してしまう。
こうして、ひとりの中の階段が、ほかの人の階段にも影響を与え、誤解と摩擦が広がっていく。
これが、人間関係のトラブルの、見えない正体である。
誰も、悪気はない。
ただ、それぞれが、自分の階段を一気に駆け上がっているだけ。
それが、複数の人のあいだで重なって、ねじれが生まれていく。
この階段を、一段ずつ降りられるようになる
ここから、ひとつの大事な技術が見えてくる。
自分の階段を、一段ずつ、降りられるようになること。
これが、自分を扱う、もうひとつの大事な技術である。
具体的には、こんな問いを、自分に投げかける。
「これは、本当に事実だろうか」
事実と、解釈を、まず切り離してみる。
ビデオに撮れることだけを、もう一度、事実として書き出してみる。
「自分は、何を選んで見ていただろうか」
膨大な事実の中から、自分はどの部分にスポットライトを当てていたのか。
他の側面は、見えていなかったか。
「どんな解釈を加えていただろうか」
選び取った事実に、自分は、無意識にどんな意味を当てたのか。
別の解釈は、ありえなかっただろうか。
これらの問いを、自分に投げかけてみる。
すると、階段を一段ずつ降りていくことができる。
そして、階段を降りていく中で、自分のメンタルモデルが、ふと浮かび上がってくる。
「自分は、こういう前提で世界を見ていたのか」
「自分は、こういう信念から、解釈を作っていたのか」
これが、自分のメンタルモデルに気づく、もっとも具体的な道筋である。
階段を意識できるようになると、見える世界が変わる
階段を意識できるようになると、何が変わるのか。
最初に気づくのは、別の解釈もありえた、ということである。
同じ事実から、自分とは違う結論にたどり着く道が、いくつも見える。
これまで、唯一の真実だと思っていたものが、いくつかの選択肢のひとつだったとわかる。
次に気づくのは、別の結論にもたどり着けたはずだ、ということである。
自分が引いた結論は、必然ではなかった。
別の階段の登り方をしていれば、別の結論に着いていた。
これが、自分の中に、ひとつの自由を生む。
そして、最後に気づくのは、自分が、自分の世界を作っていた、ということである。
見えていた世界は、客観的な現実ではなかった。
自分の階段の登り方が、その世界を作っていた。
だとすれば、登り方を変えれば、世界も変えられる。
これが、推論のはしごから引き出される、もっとも深い学びである。
次の節では、この階段を、もっと具体的に点検する道具を見ていきたい。
人類が共通して陥りやすい、特定のパターン ― 「認知の歪み」と呼ばれるものに、踏み込んでいく。