第 4 章 ― 意識を、使う
4-7
認知の歪み ― よくあるメンタルモデルのパターン
前の節で、推論のはしごを見てきた。
人は、事実から信念まで、無意識のうちに6段の階段を駆け上がっている。
そして、その登り方が、人によって違うから、見える世界も結論も違ってくる。
ここで、もうひとつ大事な事実を共有したい。
階段の登り方には、人によって違う部分があると同時に、人類に共通する「癖」のようなものもある。
ほとんどの人が、似たような形で、思考を歪めるパターンを持っているのである。
このパターンを、体系的に整理した人がいる。
精神科医、アーロン・ベックである。
認知行動療法の中で、整理されてきた歪み
1960年代、アメリカの精神科医アーロン・ベックは、うつ病の患者たちと向き合う中で、ひとつのことに気づいた。
患者たちは、共通して、特定の思考パターンを持っていた。
事実をそのまま受け取るのではなく、ある特定の方向に、考えを歪めてしまうパターン。
そのパターンが、ネガティブな感情を生み、それがまた、思考をさらに歪めていく ― そんな悪循環が、彼らの中で回っていた。
ベックは、このパターンを「認知の歪み(cognitive distortions)」と呼び、体系化した。
そして、この歪みを意識的に点検し、整えていく治療法を作り上げた。
これが、今日の認知行動療法(CBT)の出発点である。
ここで大事なのは、これらの歪みが、特殊な人にだけ起きるものではない、ということ。
程度の差こそあれ、誰の中にも、これらの歪みは存在する。
うつ状態の人ほど強く現れるが、健康な人の中にも、必ず潜んでいる。
これらの歪みは、人類が共通して持っている「メンタルモデルのよくあるパターン」と言ってもいい。
自分の中にも、どんなパターンがあるかを点検していくと、自分のメンタルモデルが、はっきりと見えてくる。
ここから、代表的な7つの歪みを、ひとつずつ見ていきたい。
自分の中に思い当たる節があるか、確かめながら読んでみてほしい。
白黒思考
1つめは、白黒思考である。
すべてを、「成功か失敗か」「敵か味方か」「好きか嫌いか」と、二つにひとつで見てしまう癖。
中間のグラデーションが、見えなくなる。
「完璧にできなければ、意味がない」
「100点でなければ、0点と同じだ」
「全部やり切らなければ、やった意味がない」
こんなふうに考えてしまう人は、白黒思考の癖が強いかもしれない。
現実の多くは、白か黒かでは割り切れない。
ほとんどのことは、グレーのグラデーションの中にある。
それなのに、白か黒かで判断しようとすると、現実を雑に切り取ることになる。
そして、自分にも、他人にも、必要以上に厳しい結論を下してしまう。
過度な一般化
2つめは、過度な一般化である。
一度の出来事から、「いつもこうだ」「みんなこうだ」と、大きな結論を出してしまう癖。
「今回も失敗した。自分はいつもダメだ」
「あの人に冷たくされた。男(女)はみんな信用できない」
「あの会社で嫌な目に遭った。会社というものは、信用できない」
一度や二度の出来事から、世界全体に当てはまる結論を引き出してしまう。
そして、その結論が、また次の見え方を狭めていく。
事実としては、ただ「今回、こうだった」というだけのこと。
それを「いつも」「みんな」「全部」に広げないように、立ち止まる必要がある。
心のフィルター
3つめは、心のフィルターである。
ネガティブな情報だけを拾い、ポジティブな情報を見落としてしまう癖。
10個の褒め言葉と、1個の指摘を受けたとする。
心のフィルターが強い人は、1個の指摘だけが、頭に残る。
10個の褒め言葉は、その日のうちに、忘れてしまう。
これは、脳の意識的なスポットライト(3-5)が、ネガティブな情報のほうに、自動的に向いてしまう状態である。
事実としては、いい部分も悪い部分もあったはずなのに、悪い部分だけが、自分の中の「現実」になっていく。
感情的推論
4つめは、感情的推論である。
「こう感じるから、これは事実だ」と、思い込んでしまう癖。
「不安に感じる、だから、この計画は危険なはずだ」
「相手にイライラする、だから、相手は悪い人だ」
「ダメだと感じる、だから、自分はダメな人間だ」
感情を、現実の証拠だと、取り違えている状態である。
ところが、感情は、必ずしも現実を反映していない。
過去の記憶(3-7)から、自動的に立ち上がっていることも多い。
感情が立ち上がったからといって、その感情の内容が事実だとは限らない。
感情は、自分の中で起きている現象である。
事実そのものではない。
この区別ができないと、感情に振り回された判断が、繰り返されていく。
すべき思考
5つめは、すべき思考である。
「~すべき」「~しなければならない」で、自分や他人を縛ってしまう癖。
「親なら、こうあるべきだ」
「社会人なら、こうすべきだ」
「友達なら、こうしてくれるべきだ」
「自分は、もっと頑張らなければならない」
「すべき」のことばが、毎日の中に、たくさん出てくる。
このメンタルモデルが強くなると、何が起きるか。
「すべき」が守れないと、強い罪悪感や、怒りが立ち上がる。
他人が「すべき」を守らないと、強い不満を感じる。
自分が「すべき」を守れないと、自分を厳しく責める。
ところが、その「すべき」は、本当に必要だろうか。
それは、誰が決めたものだろうか。
社会から、家庭から、無意識に取り込んだだけのものではないだろうか。
すべき思考は、自由をいちばん奪う、メンタルモデルのひとつである。
個人化
6つめは、個人化である。
自分と関係ないことまで、自分の責任だと感じてしまう癖。
「あの人が機嫌悪いのは、自分が何かしてしまったせいかもしれない」
「会議で空気が悪くなったのは、自分の発言のせいかもしれない」
「子どもがうまくいかないのは、自分の育て方のせいだ」
何でもかんでも、自分に結びつけてしまう。
実際には、相手の機嫌が悪いのは、別の理由かもしれない。
空気が悪くなったのは、自分とは関係ないところで生じた問題かもしれない。
子どもがうまくいかないのは、子ども自身の選択の結果かもしれない。
個人化の癖が強い人は、世界の出来事の、必要以上の重荷を背負いがちである。
そして、自分を消耗させていく。
レッテル貼り
7つめは、レッテル貼りである。
自分や他人を、ひとつのラベルで決めつけてしまう癖。
「自分はダメな人間だ」
「あいつは冷たい人だ」
「あの人は意地悪だ」
「自分は内向的だから、ダメだ」
人間は、本来、多面的である。
ある場面では、ダメに見えるかもしれない。
別の場面では、輝いて見えるかもしれない。
ある人に対しては冷たい人も、別の人には優しいかもしれない。
それなのに、ひとつのラベルで、丸ごと決めつけてしまう。
そして、そのラベルを通してしか、その人を見られなくなっていく。
自分にレッテルを貼ると、自分の可能性を狭めていく。
他人にレッテルを貼ると、その人との関係性が、固定されていく。
これらは、誰もが多かれ少なかれ持っている
ここまで、代表的な7つの歪みを見てきた。
ただし、認知の歪みは、これだけではない。
研究者によって整理の仕方は違うし、ここに挙げていない歪みも、無数に存在する。
「相手は私の気持ちをわかってくれるはず」「過去の出来事は変えられないから、もう取り戻せない」「すべて自分のせいだ、いやすべて相手のせいだ」 ― こうした思考の癖も、それぞれが認知の歪みのひとつである。
ここで挙げた7つは、その中でも、もっとも多くの人が陥りやすい代表例にすぎない。
ここで、大事なことを、ひとつ書いておきたい。
これらの認知の歪みは、誰もが多かれ少なかれ持っているものである。
完全に歪みのない人など、いない。
程度の差はあっても、人間である以上、必ずどこかに、これらの歪みは潜んでいる。
だから、自分の中の歪みに気づいたとき、「自分はダメだ」と落ち込む必要はない。
歪みがあること自体は、ごく普通のことである。
大事なのは、歪みをなくすことではない。
歪みに、気づけるようになることである。
気づけるようになると、振り回されにくくなる
自分の中の認知の歪みに気づけるようになると、何が変わるか。
強い感情が立ち上がったとき、こんなふうに、自分に問えるようになる。
「あ、これは、白黒思考かもしれない」
「これは、過度な一般化になっていないか」
「いま、心のフィルターがかかっていないか」
すると、感情に飲み込まれる前に、一歩、引いて眺められるようになる。
自分を縛っていた前提が、ふと見える。
「絶対にこうだ」と思っていたものが、ただの自分の歪みだったと、わかる瞬間がある。
それだけで、振り回されにくくなる。
感情に支配されず、状況を、もう少しフラットに見られるようになる。
これは、決して、感情を否定する話ではない。
感情は、感情として、ちゃんと受け止める。
ただ、感情が作っている結論が、本当に妥当か、いったん点検できるようになる、ということである。
まず、気づくことが、変える第一歩
ここで、第4章第2部の、共通するメッセージを、もう一度書きたい。
メンタルモデルや認知の歪みは、なくそうとしても、なかなかなくならない。
何十年もかけて作られた前提を、一気に書き換えることは、できない。
だが、気づくことなら、できる。
そして、気づけるようになるだけで、振り回され方が、確実に変わってくる。
まず気づくことが、変える第一歩である。
そして、繰り返し気づいているうちに、少しずつ、書き換えも始まっていく。
その「書き換え」の話は、次の節で扱いたい。
気づいたメンタルモデルや認知の歪みを、どうやって扱い直していくか。
3つのアプローチを見ていく。