第 2 章 ― よく生きるとは、何か
2-11
人生って素晴らしい / 世界は美しい
第2章「よく生きるとは、何か」の最後の節である。
ここまで、さまざまな角度から「よく生きる」を眺めてきた。
ソクラテスの問いから始まり、ブッダの意識のコントロール、生きる意味との付き合い方、常識からの自由、真理に向き合う姿勢、本当の幸せ、成功との距離感、縁起の世界観、ポジティブ心理学が見出した5つの要素、使命感と他者貢献 ― それぞれが、ひとつの角度を提供してくれた。
これらをすべて通り抜けた先に、最後にたどり着く場所がある。
それは、答えではなく、ひとつの感受性である。
たどり着くのは、ひとつの感受性
そこにある感受性を、ことばにすると、こうなる。
人生って、素晴らしい。世界は、美しい。
これは、ありふれたことばに見えるかもしれない。
ポスターに書かれていそうな、薄っぺらい標語に見えるかもしれない。
だが、これが、本当に深いところで腑に落ちた状態 ― それが、「よく生きる」の最終的な答えである。
このシンプルな感覚を、軽い気分の話としてではなく、自分の人生の中心に持てているか。
ここが、よく生きることの核心である。
これは、楽観論ではない
ここで、強く言っておきたいことがある。
「人生って素晴らしい」「世界は美しい」というのは、楽観論ではない。
苦しみや不条理を見ないふりをすることでも、ない。
世の中には、確かに、目を背けたくなるような出来事が満ちている。
戦争、貧困、災害、病気、不条理な暴力、突然の喪失。
身の回りにも、自分自身の中にも、苦しみは絶えず存在する。
これらを「見なかったことにする」のは、よく生きることではない。
むしろ、ソクラテスの言う「吟味されていない人生」(2-1)に逆戻りする。
ここで言っている感受性は、まったく逆方向のものである。
苦しみも、不条理も、ありのままに見たうえで(2-5)。それでもなお、人生は素晴らしいと感じられる感受性。世界の美しさを、心の底から味わえる感受性。
苦しみを見ないことで保たれる「楽観」は、薄い。
ちょっとした逆境で簡単に剥がれ落ちる。
そうではなく、世界の影の部分も、自分の中の暗い部分も、ちゃんと見つめたうえで、それでも生きていることに「ありがたいな」「美しいな」と感じられる ― これは、簡単に揺らがない、本物の感受性である。
知れば知るほど、見えてくるもの
世界を、ありのままに見ようとしていくと、不思議なことに、世界の美しさが見えてくる。
これは、感傷的な話ではない。
たとえば、自分の体ひとつをとっても、こうである。
いま、心臓は止まらずに動き続けている
何兆もの細胞が、絶え間なく協調して働いている
食べたものが、自動的に消化され、栄養になっていく
傷ができれば、勝手に治っていく
眠れば、勝手に回復していく
これらを、人間が意識的に動かしているわけではない。
自分が知らない間に、この精密な営みが、毎瞬続いている。
そして、もう少し視野を広げると、こうなる。
この地球は、太陽からちょうどよい距離にあって、生命が育つ温度が保たれている
水という、生命に最も大事な物質が、これほど豊富にある惑星は、宇宙の中でもごく稀である
大気の組成も、奇跡的なバランスで、生き物が生きていける状態に保たれている
これらは、偶然と言えば偶然である。
だが、こうして見ていくと、いま自分がここで呼吸していられること自体が、いかに信じがたい確率の上に成り立っているか、見えてくる。
さらに視野を広げる。
自分がいまここにいるためには、両親が出会わなければならなかった
両親が出会うためには、それぞれの親、祖父母、その前の世代と、何百代も人がつながってこなければならなかった
そのうちの誰か一人でも欠けていれば、自分はここにいない
138億年の宇宙の歴史、46億年の地球の歴史、何億年もの生命の進化 ― そのすべての先に、いまの自分の一瞬がある
これらは、知識として知ると、すごいことだなと感心するだけかもしれない。
だが、本当に腑に落ちたとき、人は、深い場所で何かに撃たれる。
縁起の網(2-8)の視点に立てば、これは抽象的な理屈ではなく、目の前の現実そのものである。
いま、ここにあるすべてが、何十億年の時間と、数え切れない命のつながりに支えられている。
すべてが、すべてと関わり合いながら、いま、成り立っている。
この事実を、頭ではなく、心の底で感じられたとき。
世界は、急に違って見えてくる。
朝の光。
湯気の立つお茶。
家族の寝顔。
窓の外で揺れる葉っぱ。
どこか遠くから聞こえてくる、誰かの笑い声。
これらの、ごく日常的なものが、奇跡的なものに見えてくる。
「世界は、美しいなあ」と、自然に感じる瞬間が、増えてくる。
この感受性は、もともと人間に備わっている
ここで、ひとつ希望のあることを言いたい。
この感受性は、特別な人だけが持っているものではない。
もともと、人間に備わっている。
子どもを見ていれば、それがよく分かる。
小さな子どもは、何の理由もなく、笑う。
雨粒に感動する。
セミの抜け殻を見て、驚く。
夕焼けを見て、立ち止まる。
世界に対して、開かれている。
そして、世界の中にある美しさや面白さに、素直に反応している。
これは、教えられたものではない。
人間が、もともと持って生まれてきている感受性である。
ところが、大人になるにつれて、私たちはこれを失っていく。
「こんなことで感動するのは、子どもっぽい」
「夕焼けより、明日のスケジュールが大事だ」
「いちいち、空を見上げている暇はない」
社会の中で、何が「大事」かを教え込まれていく中で、もともと持っていた感受性は、少しずつ曇っていく。
そこに重なってくるのが、ここまでの章で見てきた要因である。
吟味せずに飲み込んだ常識(2-4)
他人との際限のない比較
過去のトラウマや、未来への不安
情報の洪水(1-13)
競争社会の消耗(1-11)
これらが、もともと持っていた感受性を、何重にも覆い隠していく。
気づくと、大人の自分は、夕焼けを見ても何も感じなくなっている。
家族と一緒にいても、頭の中は別のことを考えている。
朝のコーヒーの香りに、気づきもしない。
感受性は、消えたわけではない。
ただ、覆われているだけである。
「よく生きる」とは、この感受性を取り戻すこと
そう考えると、「よく生きる」ということの、本当の意味が見えてくる。
「よく生きる」とは、新しい何かを獲得することではない。
もともと持っていた感受性を、取り戻していくことである。
ただし、ここで間違ってはいけない。
「子どもに戻ること」ではない。
無邪気さを取り戻すために、大人としての知性や責任を捨てる、というような話ではない。
求めているのは、こういう状態である。
大人として、深く考え、世界をありのままに深く見たうえで、それでも世界の美しさを感じられること。
子どもの感受性が、まだ世界の苦しみや複雑さを知らない状態で立ち上がる感受性だとすれば、
大人の感受性は、世界の苦しみも複雑さも知ったうえで、それでも立ち上がってくる感受性である。
後者は、前者よりも、ずっと強い。
ちょっとやそっとのことでは、揺らがない。
世界の困難を知っているからこそ、いまここにある美しさが、いっそう光って見える。
苦しみの存在を知っているからこそ、誰かと笑い合える瞬間が、いかに尊いかが分かる。
これが、大人として「よく生きる」ことの、本当の姿である。
これが、第2章の最終的な答え
第2章は、「よく生きるとは、何か」を解像度高く考える章だった。
ここまでの議論を全部通り抜けた先に、最後にたどり着く答えを、もう一度書いておく。
よく生きるとは、世界の苦しみも、自分の中の影も、ありのままに見たうえで、それでも「人生って素晴らしい」「世界は美しい」と感じられる感受性を、自分の中で育てていくこと。
これが、ソクラテスから、ブッダから、縁起から、ポジティブ心理学から、使命感の考え方から ― すべての糸が集まる場所である。
そして、これは、達成すべき到達点でも、頑張って手に入れる目標でもない。
もともと自分の中にあるものを、思い出していく営みである。
これは結論ではなく、出発点でもある
第2章はここで閉じる。
だが、「人生って素晴らしい」「世界は美しい」という感受性は、第2章の結論であると同時に、その先のすべての出発点でもある。
この感受性を、毎日少しずつ育てていく。
日常の中で、忘れがちなこの感覚を、ちゃんと自分のものとして持ち直す時間を、毎日持つ。
そのための具体的な技術が、第3章以降で展開される。
どんな構造で、人間の意識は動いているのか(第3章)
その意識を、どう使えばいいのか(第4章)
そして、すべてを通して、自分の人生をどう動かしていけるのか(第5章)
これらの技術は、すべて、「世界の美しさを感じる感受性」を取り戻し、育てるためのものである。
知識として持つだけでは、感受性は育たない。
毎日の小さな実践の中で、少しずつ、目に映る世界の解像度が変わっていく。
ある日、ふと、いつもの通勤路の途中で、空がやけに広く感じる瞬間がある。
ある日、ふと、家族の笑い声が、いつもより深く胸に届く瞬間がある。
ある日、ふと、ありふれた毎日が、奇跡的なものに見える瞬間がある。
そういう瞬間が、人生の中で増えていく。
それが、本当の意味で「よく生きている」状態である。
WellGrowが目指しているのは、この感受性を、毎日の3分の対話の中で、少しずつ取り戻し、育てていくことである。
第3章では、いよいよ、「意識」そのものの構造に踏み込んでいく。
人間の意識は、どう動いているのか。
その仕組みを知ることで、はじめて、意識を意識的に扱うことができるようになる。
予測する脳、成長、五感、思考、記憶、価値基準、潜在意識 ― これらのテーマが、第3章で待っている。
「よく生きる」を、感受性として腑に落としたうえで、ここからは、その感受性を実際に育てていくための、土台の構造を見ていく。