第 2 章 ― よく生きるとは、何か
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常識という名の囚われ
「生きる意味」のような大きな問いを考えるとき、私たちが見落としがちな、もっと身近な障害がある。
それは、「常識」である。
意味を自分で見出していくためにも、常識との付き合い方を、ここではっきりさせておきたい。
私たちは、無数の「常識」に縛られて生きている
少し、自分の人生を振り返ってみてほしい。
これまでの人生で、自分が「こうあるべき」と思って動いてきたこと。
これから先、「こうしないといけない」と感じていること。
どんなものが、思い浮かぶだろうか。
おそらく、こんなことが浮かぶはずである。
いい大学に入るべき
安定した仕事に就くべき
結婚するべき
子どもを持つべき
マイホームを持つべき
老後の備えをするべき
親孝行するべき
健康診断を受けるべき
周りに迷惑をかけないように生きるべき
これらは、現代日本に生きていれば、誰もが一度は耳にしたことのある「べき」である。
そして、多くの人が、これらの「べき」に従って、人生の重要な選択をしてきた。
これらは、常識として、社会の中に存在している。
これらの常識は、どこから来たのか
ここで、立ち止まって考えてみたい。
これらの常識は、いったいどこから来たのだろうか。
親から、いつの間にか言われてきた。
学校で、先生や友人との会話で、染み込んできた。
社会に出てから、周りを見渡してそう感じてきた。
テレビや雑誌、SNSで、何度も同じメッセージを受け取ってきた。
つまり、ほとんどの常識は、自分の外側から、いつの間にか入ってきたものである。
ここに、ひとつ大事な事実がある。
これらの常識を、自分で選んで取り入れた覚えは、ほとんどない。
「いい大学に入るべき」と、最初に決めたのは、自分ではない。
気づいたら、そう思っていた。
「結婚すべき年齢」も、自分で決めた基準ではない。
社会のどこかで形成された相場を、いつの間にか自分のものとして取り入れていた。
私たちは、自分が選んでもいない無数の常識を、いつの間にか「自分の信念」として抱え込んでいる。
そして、その信念に従って、人生の大事な選択をしている。
「みんなそう言っている」「そういうものだ」 ― この感覚に、人生が支配されている。
常識の問題は、内容そのものではない
ここで、誤解しないでほしいことがある。
常識を、ひっくるめて「悪いもの」「捨てるべきもの」と言うつもりはない。
常識の中には、確かに価値のあるものも多い。
健康を大事にすべき ― これは、おそらく真実である
人に親切にすべき ― これも、生きる支えになる
約束を守るべき ― 信頼関係の土台になる
学び続けるべき ― 人生を豊かにする
良い常識もあれば、現代には合わない常識もある。
人によって合うものもあれば、合わないものもある。
問題なのは、常識の「中身」ではない。
問題は、常識を「自分で吟味せずに」受け入れていることである。
吟味する、というのは、ソクラテスのキーワードでもあった(2-1)。
「吟味されない人生は、生きるに値しない」とソクラテスは言った。
常識を、自分で考え直さずに、丸ごと飲み込んでいる状態 ― これが、まさに「吟味されていない」状態である。
吟味されない常識は、人生を縛る
吟味されない常識は、本人が気づかないところで、人生を縛っていく。
具体的には、こんなことが起きる。
自分が本当に望んでいないことを、望んでいると思い込ませる
「結婚すべき」という常識を吟味せずに抱え込んでいる人は、結婚を、自分が本当に望んでいるかどうか、考えなくなる。
「いい大学に入るべき」を吟味せずに抱え込んでいる学生は、自分が大学で何をしたいかを、考えなくなる。
「老後のために貯金すべき」を吟味せずに抱え込んでいる人は、いまの人生を犠牲にしてまで貯め込み、本当はそこまでする必要があるのか、問わない。
常識は、本人の本当の望みを覆い隠してしまう。
気づいたら、「自分は何を望んでいるのか分からない」状態になっている。
自分の人生の主役を、常識に明け渡してしまう
人生の主役は、本来、自分のはずである。
だが、常識を吟味せずに従っていると、人生の主役は、「常識」になる。
常識が、こう進めと言うから、進む。
常識が、こうしろと言うから、する。
常識が、これは恥ずかしいと言うから、避ける。
知らないうちに、自分は脇役になっていて、常識という見えない存在が、自分の人生を動かしている。
これが、現代を生きる多くの人に起きていることである。
「よく生きる」の出発点は、常識を疑うこと
第2章は、「よく生きるとは何か」を考える章である。
その出発点として、絶対に必要な作業がある。
それは、自分が抱えている常識を、ひとつずつ吟味することである。
これは、すべての常識を否定するという意味ではない。
革命を起こす必要も、社会から逸脱する必要もない。
やるのは、シンプルなことである。
自分の中にある「べき」を、ひとつずつ取り出して、こう問うてみる。
「これは、本当に自分にとって大事なことか?」
吟味した結果、「やっぱり、自分にとって大事だ」と腑に落ちるなら、それを大事にすればいい。
それは、もはや外から押し付けられた常識ではなく、自分が選んだ価値観になっている。
吟味した結果、「自分にとって、それほど大事ではない」と気づくこともある。
そうしたら、それを少しずつ、人生の重要度の中で下げていけばいい。
完全に捨てる必要はない。重みの置き方を、変えるだけでいい。
吟味した結果、「自分は、これとは違う方向を望んでいる」と分かることもある。
そのときは、勇気を持って、自分の方向に舵を切ればいい。
吟味しないで従うか、吟味してから従うか。
表面の行動は同じでも、人生の質はまったく違うものになる。
常識から自由になった先に、自分の人生が見えてくる
常識を吟味する作業を続けていくと、不思議なことが起きる。
最初は、不安になるかもしれない。
これまで信じてきたものを問い直すことは、足元が揺らぐような感覚を伴う。
「もし、これが正しくなかったら、自分はこれまで何をしてきたのか」と、戸惑うこともある。
だが、吟味を続けていると、少しずつ景色が変わってくる。
外から借りてきた「べき」が減っていく。自分の中から立ち上がる「したい」が、増えていく。
これが、常識から自由になっていく、ということである。
「すべての常識から自由」になる必要はない。
そこを目指す必要もない。
だが、自分の人生にとって本当に大事なものと、なんとなく抱え込んできただけのものを、区別できるようになっていく。
その先に、自分の人生が、ようやく見えてくる。
これまで、社会の物差しに沿って生きてきた人生が、
少しずつ、自分の物差しで生きる人生に、変わっていく。
これは、急にはできない。
何十年も抱えてきた常識を、一日でひっくり返すことはできない。
ひとつずつ、少しずつ、自分の中で取り出して、吟味していく。
そして、これこそが、「よく生きる」の出発点である。
WellGrowは、この吟味の作業を、毎日3分の対話で進めていく場でもある。
「あなたは、なぜこれを大事だと思っているのですか?」
「これは、本当にあなた自身が選んだ価値観ですか?」
「もし、誰もそう言わなかったとしても、あなたは同じことをしますか?」
AIが返してくる問いに、自分のことばで答えていく。
その時間が、自分の中の常識を、ひとつずつ自分のものに変えていく作業になる。
借り物だらけだった自分の中身が、少しずつ、自分のものに置き換わっていく。
その先に、本当の意味で、自分の人生が始まる。