第 2 章 ― よく生きるとは、何か
2-5
真理とは、なにか
前の節で、常識を吟味することの大切さを見てきた。
常識を吟味するとき、ひとつの基準が必要になる。
「何を基準に、この常識を吟味すればいいのか」という基準である。
その基準のひとつが、ここで扱う「真理」である。
「真理」と聞くと、哲学的・抽象的な印象を持つかもしれない
「真理」ということばを聞くと、多くの人が、こんな印象を持つかもしれない。
哲学的で、抽象的で、難しそう。
普通の人には縁のない、特別な領域の話。
お坊さんや哲学者が、何十年もかけて辿り着くもの。
確かに、こうした文脈で「真理」が語られることは多い。
だが、WellGrowでは、真理をもっとシンプルに捉えたい。
真理は、とてもシンプル
真理とは、こういうことである。
この世界を、そのまま知ること。この世界が持っている法則を、知ること。この世界のありのままを、知ること。
それだけである。
神秘的なものではない。難解な概念でもない。
目の前にある世界が、本当はどうなっているのか。
それを、自分の願望や思い込みで歪めずに、ありのままに見る。
これが、真理に向き合うということである。
身近な例で言えば、
自分の銀行口座に、本当はいくら入っているのか
いま自分が抱えている仕事は、本当はどれくらい残っているのか
いま自分の身体は、本当はどんな状態にあるのか
いまの自分は、本当は何を感じているのか
こうした「ありのままを見る」こと自体が、真理に向き合うことである。
お坊さんでなくても、哲学者でなくても、毎日できる営みである。
人間は、真理を見るために進化してきた
ここでひとつ、根本的なことを思い出したい。
人間の感覚器官は、もともと「真理を見るため」に進化してきた。
特に、目。
目は、世界をありのままに描写するために、5億年以上の時間をかけて進化してきた器官である。
光を捉え、色を識別し、距離を測り、動きを追う。
これらすべては、世界が「本当はどうなっているか」を、できるだけ正確に脳に届けるために発達した機能である。
なぜなら、世界をありのままに見られない生物は、生き残れなかったからである。
獲物の距離を見誤れば、狩りに失敗する。
捕食者の動きを見誤れば、食われてしまう。
食べ物と毒物を見分けられなければ、命を落とす。
「世界をそのまま見ること」が、生存に直結していた。
だから、進化は、目をどんどん精密にしていった。
もちろん、人間の目にも限界はある。
紫外線も赤外線も、見えない。
原子レベルの細部も、見えない。
あまりに遠いものも、近いものも、見えない。
それでも、生物全体の中で比べると、人間の目は驚くほど世界の真実を正確に捉えている。
私たちは、世界を見るために設計された生き物として、ここに存在している。
これは、忘れてはいけない事実である。
物理的な真実は、確かにそこにある
世界には、確かに「物理的な真実」が存在している。
机を叩けば、硬い感触がある。
水を飲めば、喉に流れる。
火に触れれば、熱い。
重い荷物を持てば、腕が痛い。
これらは、誰がどう信じようと、変わらない事実である。
信じる、信じないに関係なく、確かにそこにある。
触れられる、見られる、測れる。
人間の感覚と、道具による測定で、確かめられる現実が、確かに存在している。
これが、真理の最も基礎にある部分である。
「世界は、確かに、ある」という地点。
そして、科学が、その裏側を見させてくれている
人間の感覚だけでは、世界のすべては見えない。
肉眼では、原子は見えない。
五感では、電磁波は感じられない。
体感では、地球が太陽の周りを回っていることは、直接には分からない。
だが、科学は、これらを明らかにしてきた(1-3)。
原子と分子の世界。
電磁波と量子の世界。
宇宙の構造、進化の仕組み、DNAの構造。
人間の感覚を超えた領域にある世界の構造を、科学は、200年、300年とかけて、少しずつ明らかにしてきた。
科学は、人間の目と感覚の延長である。
肉眼では届かないところまで、人類が共同で、世界の真実を見ようとしてきた営みである。
物理的な真実 ― これは、確かにそこにある。
そして、その裏側まで、人類は少しずつ見えるようになってきている。
真理を見るとは、どういうことか
ここで、もう一度、「真理を見る」とはどういうことかを、整理しておきたい。
真理を見るとは、3つの態度に集約できる。
常識や思い込みのフィルターを外して、世界をそのまま見ること
私たちは、無意識のうちに、世界を様々なフィルター越しに見ている。
「こういうものだ」という思い込み。
「こうあるべきだ」という常識(2-4)。
「みんなそう言っている」という社会通念。
これらのフィルターを通すと、世界は歪んで見える。
事実が、自分の思い込みに合わせて、形を変えて届く。
真理を見るためには、このフィルターを、できるだけ外す必要がある。
これは、一度に完全に外すことは難しい。だが、意識すれば、少しずつ薄くしていくことはできる。
自分の願望や恐怖で、世界を歪めないこと
人間は、世界を歪めて見る生き物でもある。
願望がある時、人は、見たいものだけを見ようとする。
「うまくいくはず」と信じたいとき、うまくいかない兆候を無視する。
恐怖があるとき、人は、世界を必要以上に脅威として見る。
「失敗するかもしれない」と思っているとき、すべての出来事が失敗の予兆に見える。
願望と恐怖。
この二つは、特に強力に、世界の見え方を歪める。
真理を見るためには、自分の中にある願望と恐怖に、まず気づく必要がある。
気づけば、その影響を、少しは差し引いて見ることができる。
目の前にあることを、ありのままに受け取ること
目の前にある現実を、評価せずに、判断せずに、ただ受け取る。
「いい」「悪い」を脇に置いて、まず、ありのままを受け取る。
これは、ブッダがマインドフルネスで説いてきた態度と、深く重なる(2-2)。
評価する前に、ただ観察する。
判断する前に、ただ受け取る。
この姿勢があって、初めて、世界の真理に少しずつ近づける。
真理から目を背けないところから、変化は始まる
ここまで読んで、こう感じた人もいるかもしれない。
「真理を見ることは大事だ。でも、それで、何が変わるのか?」
真理を見ることの本当の価値は、ここから先にある。
真理から目を背けない人にだけ、本当の変化が始まる。
これは、現実的な話である。
ダイエットしたい人が、自分の本当の体重から目を背けていたら、何も変わらない。
お金を貯めたい人が、自分の本当の収支から目を背けていたら、何も変わらない。
人間関係を改善したい人が、自分の本当の感情から目を背けていたら、何も変わらない。
人生のどんな領域でも、ルールは同じである。
都合の悪いことから、目を逸らさない。自分の現実を、ありのままに見る。そこから、はじめて変化が始まる。
逆に言うと、現実から目を逸らしている限り、いくら頑張っても、本当の変化は起きない。
動いているように見えても、空回りしているだけのことが多い。
なぜなら、変化は、現在地から始まるからである。
現在地が見えていなければ、どの方向に進むべきかも分からない。
「ここから、あそこへ」のスタート地点が、ぼやけていたら、地図が読めない。
真理を見るとは、自分の現在地を、ありのままに把握することでもある。
そこから始めて、初めて、目的地に向かう道筋が見えてくる。
第2章の流れの中で、真理は、こんな位置を占めている。
ソクラテスが「吟味せよ」と言った(2-1)。
ブッダが「観察せよ」と言った(2-2)。
そして、生きる意味を考えるとき(2-3)、常識を吟味するとき(2-4)、その作業の基準になるのが、「真理を見る」という姿勢である。
ありのままに見たうえで、自分の人生にとっての意味を考える。
ありのままに見たうえで、抱え込んできた常識を吟味する。
このありのままに見ようとする姿勢が、すべての出発点である。
WellGrowは、毎日の対話を通じて、この「ありのままに見る」練習を、少しずつ重ねていく場でもある。
「いま、自分の現実は、本当はどうなっているか?」
「いま、自分は、本当は何を感じているか?」
「いま、目の前のこの状況を、願望や恐怖を脇に置いたら、どう見えるか?」
こうした問いに、毎日少しずつ向き合う。
それを続けることが、自分の人生を、本当の意味で動かしていく力になる。
真理から目を背けないこと。
これは、地味だけれど、最も強力な「よく生きる」の出発点である。