第 1 章 ― 私たちは、どこにいるのか
1-4
生物としての進化 ― 獲得した能力と、現代社会のGAP
ここまで、ことば(1-1)、哲学(1-2)、科学(1-3)を見てきた。
ここで、もうひとつ別の角度から、私たち自身を眺めてみたい。
私たちは、生物である。
頭で考える存在である前に、5億年もかけて進化してきた、生き物の一個体である。この事実を忘れると、現代の生きづらさの正体は、まったく見えない。
進化が、私たちに与えた能力
人間という生物は、5億年の進化の過程で、生き残るために必要な能力を手に入れてきた。
危険を察知する能力
脳の奥にある「扁桃体」と呼ばれる部位が、危険を感じた瞬間に恐怖反応を立ち上げる。心拍が上がり、筋肉に血が回り、戦うか逃げるかの体勢に入る。考える前に、体が動く。この能力があったから、私たちの祖先は捕食者から逃げ延びることができた。
集団の中で位置を確認する能力
人間は、集団で生きる動物である。集団の中で「自分はどの位置にいるか」を常に確認することで、生存と繁殖の可能性を高めてきた。他人と自分を比較するのは、生物としての標準装備である。
食料を確保する能力
快を追い、不快を避ける。甘いもの、脂っこいものに引き寄せられ、苦いもの、苦しいことを避ける。この単純な仕組みが、食料の乏しい時代には、生命を守る最強の戦略だった。
共感する能力
他者の感情を読み取り、自分のことのように感じる。集団の中で協力するために、共感は決定的に重要な能力だった。仲間が悲しんでいれば一緒に悲しみ、仲間が喜んでいれば一緒に喜ぶ。これが、集団としての結束を作った。
物語を作る能力
ことば(1-1)を手にした人間は、過去と未来を頭の中で組み立てられるようになった。「昨日こうだった」「明日こうなるかもしれない」と物語を作ることで、経験を学習に変え、未来に備えることができた。
これらの能力は、すべて、サバンナで生き残るために最適化されたものである。
だが、現代社会の文脈は、サバンナとはまったく違う
ここで問題が起きる。
これらの能力は、サバンナ環境で完璧に機能する設計だった。しかし、私たちが今生きているのは、サバンナではない。情報が津波のように流れ込み、見知らぬ人と数千人単位で繋がり、画面の中の世界が現実と同じ重さで脳に届く環境である。
サバンナで作られた能力と、現代社会の文脈の間には、深刻なミスマッチが生じている。
ひとつずつ見ていこう。
危険察知 → SNSの炎上、ニュースの脅威に過剰反応する
扁桃体は、危険を察知すると恐怖反応を立ち上げる。これは本来、目の前に獅子が現れたときの反応だった。
ところが現代では、SNSの炎上、ニュースの悲報、災害の映像 ― すべてが、扁桃体には「目の前の危険」として届く。脳は、それが画面の中の遠い出来事だとは区別できない。
結果として、私たちは1日に何度も、本来必要のない恐怖反応を立ち上げ続けている。心拍が上がり、ストレスホルモンが分泌され、神経がすり減っていく。何も襲ってこないのに、ずっと臨戦態勢でいる。
社会的比較 → SNSで他人と比較し、慢性的に不足を感じる
集団の中で自分の位置を確認する能力は、サバンナでは100人ほどの群れの中で機能した。
ところがSNSでは、世界中の数十億人の中で、自分の位置を確認させられる。タイムラインに流れてくるのは、誰かの旅行、誰かの結婚、誰かの成功、誰かの楽しそうな時間。
これらは、相手にとってのハイライトに過ぎない。だが脳は、これを「全員が常にこの状態」として処理してしまう。
結果として、どれだけ恵まれていても、慢性的に「自分は足りない」という感覚に陥る。サバンナ仕様の比較機能が、地球規模のSNSで暴走している状態である。
食料確保 → 過食、過剰消費、ドーパミン中毒
甘いもの、脂っこいものを欲しがる本能は、食料が乏しい時代には、見つけたときに一気に取り込むための賢い戦略だった。
ところが現代では、コンビニに行けば24時間、甘いものも脂っこいものも手に入る。「見つけたときに取り込む」本能のままに動けば、すぐに過食になる。
そして同じ仕組みが、食べ物以外にも拡張されている。SNSの「いいね」、ゲームの報酬、ショッピングの達成感。これらは、サバンナで食料を見つけたときと同じ脳内物質(ドーパミン)を出す。
スマホを開けば、いつでもドーパミンが手に入る。食料確保の本能が、デジタル空間で過剰に発火し続けている。
共感能力 → 他者の感情に巻き込まれ、消耗する
集団で協力するために発達した共感能力は、サバンナでは数十人の仲間に対して使われていた。
ところが現代では、ニュースで遠い国の悲劇を毎日見せられる。SNSで知らない人の悲しみや怒りに毎日触れる。共感の対象が、無数に広がってしまった。
人間の共感能力には、本来、容量の上限がある。それを超えて使い続ければ、当然、消耗する。
「最近、なんだか疲れる」「人と会うのが億劫になった」 ― これは、共感の使い過ぎによる消耗である場合が多い。
物語を作る能力 → 過去を後悔し、未来を不安に思う
過去と未来を頭の中で組み立てる能力は、経験を学習に変え、未来に備えるために発達した。
ところが現代では、この能力が、過剰に内側に向かう。
過去を、何度も何度も再生する。「あのとき、ああ言えばよかった」「なぜあんなことをしてしまったんだろう」。後悔のループが止まらない。
未来を、まだ起きていないのに何度もシミュレーションする。「もし失敗したら」「もし嫌われたら」「もし将来お金がなくなったら」。不安が、現実より先に襲ってくる。
物語を作る能力が、自分を苦しめる物語を作り続ける装置になってしまっている。
サバンナ仕様の脳で、情報社会を生きている
これらをまとめると、ひとつの構造が見えてくる。
私たちは、サバンナで5億年かけて作られた脳を持ったまま、情報社会という、まったく違う環境に放り込まれている。
OSとアプリのバージョンが、絶望的に合っていない状態である。
そして、ここが決定的に大事な話なのだが、進化のスピードが、社会の変化に絶望的に追いついていない。
生物としての進化は、5億年かけて、ゆっくりと進む。だが、社会は、ここ2000年で激変した。特に、ここ50年の変化は、人類史上もっとも急激である。
インターネットが普及したのは、ここ30年
スマートフォンが当たり前になったのは、ここ15年
SNSが日常になったのは、ここ15年
AIが対話相手になったのは、ここ数年
私たちの脳は、この変化に対応するように進化していない。進化のスピードでは、絶対に追いつけない。
生きづらさの正体は、ここにある
現代を生きる人の多くが感じている「生きづらさ」。
その正体の少なくないところが、ここにある。
個人の弱さではない。意志の力の問題でもない。進化と環境の、構造的なミスマッチである。
サバンナで完璧に動く脳を持って、情報社会を生きているのだから、何もせずに本能のままに振る舞えば、消耗するのは当たり前である。
これは、自分を責める話ではない。むしろ逆である。
「自分が弱いからだ」と思ってきた人にこそ、こう言いたい。それは、あなたの責任ではない。構造の問題である。
本能のままに生きていては、うまくいかない時代
ただし、構造の話で終わらせては、何も変わらない。
ここから先が、現代を生きる私たちの選択である。
生物的な本能に従えば、私たちは、SNSに振り回され、不安に飲み込まれ、比較で消耗し、消費に流される。
これらは「弱さ」ではなく、サバンナで生き残るために最適化された本能の発動である。だが、現代という環境では、その本能のままに動けば、自分が損なわれる。
だから、現代は、本能のままに生きていてはうまくいかない時代になった。
意識的に、自分自身をコントロールしなければ、現代をうまく生きていけない。
これは、かつての時代には、ここまで強く言う必要のなかったことである。サバンナでは、本能のままに動くことが、生存の最適解だった。
だが現代では、本能のままに動くことは、消耗の最短ルートになる。
うまく自分自身をコントロールすることが、現代を生きるための必須スキルになった。
WellGrowは、このGAPを埋めるための毎日の練習場
5億年の進化と、50年の社会変化のあいだに開いた、深い溝。
この溝を、進化を待って埋めることはできない。あと5億年も、待てない。
埋めることができるのは、ひとつだけ。意識を使って、自分自身をコントロールする技術を、毎日少しずつ磨いていくこと。
WellGrowは、そのための練習場である。
サバンナ仕様の脳が、情報社会の中で暴走しないように。本能の発火を観察し、必要ならブレーキをかけ、自分にとって本当に大事なことに、意識を向け直せるように。
毎日3分、自分と対話するだけでいい。それを続けることが、5億年の脳を、現代に適応させていく道になる。