第 1 章 ― 私たちは、どこにいるのか
1-5
宗教の役割 ― なぜ人類は信じてきたか
ここまで、ことば、哲学、科学、生物としての進化を見てきた。
人間という存在を理解するうえで、もうひとつ、避けて通れないものがある。
宗教である。
現代の日本に生きていると、宗教は「自分とは関係のないもの」「むしろ少し怪しいもの」として扱われがちかもしれない。だが、人類の歴史を眺めると、宗教は驚くほど中心にあった営みだった。
すべての文明には、宗教があった
人類が文明を築いた場所には、例外なく宗教があった。
古代エジプトには、太陽神ラーがいた。
メソポタミアには、無数の神々がいた。
インドには、ヒンドゥー教があり、やがて仏教が生まれた。
中国には、道教、儒教の世界観があった。
ギリシャには、オリンポスの神々がいた。
時代が下ると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教が広がり、世界の人口の多くがいずれかの宗教の中で生きるようになった。
人類の歴史は、ある意味で、宗教の歴史でもある。
ここで立ち止まって、考えてみたい。
なぜ、世界中のあらゆる文明で、独立に宗教が生まれたのか。
お互いに連絡を取り合っていたわけでもない遠い地域の人々が、それぞれ独自の神話を作り、儀式を行い、聖典を編んできた。
これは、偶然ではない。
人間という生き物が、宗教を必要としていた、ということである。
宗教が担っていた、5つの機能
宗教を「信じる/信じない」の話としてだけ見ると、本質が見えない。
宗教は、信じる対象である以前に、人間社会に対していくつかの具体的な機能を果たしてきた制度だった。
その機能を、5つに整理してみる。
機能1 ― 意味の供給
「なぜ、私は生きているのか」
「この苦しみには、意味があるのか」
「死んだら、どうなるのか」
これらは、ことばを手にした人間(1-1)が必ずぶつかる問いである。そして、自分一人では、なかなか答えが出ない問いでもある。
宗教は、この問いに対して、共同で信じられる答えを用意してきた。
「人は神に愛されている」「人生は魂の修行である」「死は終わりではない」。
答えの中身は宗教ごとに違うが、共通しているのは、「人生には意味がある」という枠組みを与えていたことである。
意味が与えられていれば、人は苦しみを耐えられる。意味がなければ、同じ苦しみが、ただの苦痛になる。
機能2 ― 倫理の供給
「人を殺してはいけない」
「嘘をついてはいけない」
「困っている人を助けなさい」
こうした倫理は、当たり前に見えて、当たり前ではない。誰が、何の権威で、それを「正しい」と決められるのか。
宗教は、神や仏という超越的な存在を背景にして、倫理に絶対的な根拠を与えてきた。
「神が見ているから、嘘をついてはいけない」
「仏の道に反するから、殺生をしてはいけない」。
倫理が宗教に支えられていたことで、社会は秩序を保つことができた。
機能3 ― 共同体の形成
宗教は、同じ信仰を持つ人々の、強い繋がりを作ってきた。
毎週、教会に集まる。
お盆に、お寺に集まる。
モスクで、一緒に祈る。
同じ祈りを唱え、同じ儀式を行うことで、人々は「自分は一人ではない」という感覚を得てきた。冠婚葬祭という人生の節目も、宗教の場で営まれてきた。
人間は、一人では生きていけない動物である。宗教は、家族や仕事仲間とは違う、もうひとつの所属を与えてくれていた。
機能4 ― 不安の鎮静
人生には、自分ではどうにもならないことが、たくさんある。
病気になる。
災害が起きる。
大切な人が死ぬ。
明日、何が起きるか分からない。
こうした不確実性に対して、宗教は「すべては神の計画の中にある」「すべては縁起の中で起きている」と語りかけることで、不安を鎮める役割を果たしてきた。
これは「現実から目を逸らす」のとは違う。
コントロールできないものを、コントロールできないままに受け入れる枠組みを与えていたのである。
機能5 ― 内面の技術
そして、もっとも見落とされがちなのが、この機能である。
宗教は、人類最古の「内面を扱う技術体系」だった。
祈り、瞑想、念仏、写経、座禅、礼拝、断食 ― これらは、ただの儀式ではない。意識の状態を変えるための、具体的な技術だった。
朝、決まった時間に祈る。
食前に、感謝のことばを唱える。
週に一度、静かに座って自分を見つめる。
こうした習慣が、注意の向け先を整え、感情を鎮め、自分と対話する時間を確保していた。
仏教の瞑想やキリスト教の祈りが、現代のマインドフルネスや認知療法の源流になっていることは、よく知られている。
宗教は、信じるための仕組みである前に、内面を扱うための技術体系だったのである。
近代以降、宗教の力は弱まった
ところが、近代以降、宗教の力は急速に弱まっていった。
理由は、いくつかある。
科学の発展で、世界の仕組みが、神を持ち出さなくても説明できるようになった(1-3)。雷は神の怒りではなく、電気現象だと分かった。病気は呪いではなく、ウィルスや細菌の働きだと分かった。
教会の権威は、社会的に低下していった。歴史の中で起きた腐敗や暴力、近代化の流れの中で、人々は宗教に絶対的な権威を見出さなくなった。
「神の存在は、科学的に証明できない」という事実が、多くの人に共有されるようになった。
これらは、悪いことばかりではない。
科学的に世界を見られるようになったのは、人類の進歩である。
だが、ここで重大なことが見落とされてきた。
宗教が担っていた5つの機能は、消えていない
宗教の権威は弱まった。
だが、宗教が担っていた5つの機能 ― 意味、倫理、共同体、不安の鎮静、内面の技術 ― これらは、消えていない。
なぜなら、これらは、人間が必要とするものだからである。
宗教が弱まっても、人間は、
意味を必要としている。
倫理を必要としている。
所属する共同体を必要としている。
不安を鎮める枠組みを必要としている。
内面を扱う技術を必要としている。
人間という生き物の構造は、宗教があった時代と、今と、変わっていない。
宗教がなくなった現代、これらの機能を誰が担うのか
ここに、現代の大きな空白がある。
宗教が担っていた機能が、まだ人間に必要とされている。
だが、宗教そのものは、力を弱めている。
では、これらの機能を、誰が、何が担うのか。
学校は、答えの出し方は教えるが、意味の供給はしてくれない。
会社は、給料は払ってくれるが、生きる意味は与えてくれない。
家族は、大切な存在だが、共同体としての機能は昔より弱まっている。
SNSは、繋がりを提供するが、深い意味や倫理の供給はしてくれない。
宗教が抜けた穴を、何で埋めればいいのか。
この問いに、現代の多くの人が、無自覚なまま向き合わされている。
そして、この空白を、何かが担っていく必要がある。
意味を、倫理を、共同体を、不安の鎮静を、内面の技術を ―
宗教が長らく果たしてきた役割を、現代という時代の中で、新しい形で担っていく仕組みが、これから求められていく。