第 2 章 ― よく生きるとは、何か
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ポジティブ心理学からの示唆
ここまで、ソクラテス、ブッダ、縁起と、古典的な思想の系譜の中で「よく生きる」を見てきた。
ここで、視点を一気に現代に持ってきたい。
2500年前から積み上げられてきた知恵に対して、20世紀末から始まった、新しいアプローチがある。
「よく生きる」を、科学の対象にしようとした試みである。
それが、ポジティブ心理学である。
心理学は長らく、「病気をどう治すか」を研究してきた
ポジティブ心理学の話に入る前に、それが生まれた背景を、少し見ておきたい。
20世紀の心理学は、長らく、「病気をどう治すか」を中心に発展してきた。
うつ病をどう治すか。
不安障害をどう治すか。
トラウマをどう癒すか。
依存症をどう克服するか。
これらは、人類にとって本当に重要な課題である。
精神医学と心理療法は、こうした問いに本気で向き合い、多くの苦しみを救ってきた。
だが、20世紀の終わりごろ、ひとりの心理学者が、こう問うた。
「これまでの心理学は、マイナスをゼロに戻す研究は積み上げてきた。だが、ゼロからプラスへ進む研究は、ほとんどしてこなかったのではないか」
つまり、「病気をどう治すか」は分かっているが、「健康な人がどうすれば、もっとよく生きられるか」は、ほとんど研究されていなかった。
マーティン・セリグマンが立てた新しい問い
その問いを立てた人物が、マーティン・セリグマンだった。
彼は、もともとアメリカ心理学会の会長を務め、うつ病研究で大きな業績を上げてきた、伝統的な心理学の権威である。
その彼が、ある時、新しい方向を打ち出した。
「人はどうすれば、よく生きられるか」
「幸せとは、何か」
これらを、科学的に研究するべきではないか、と。
ここで重要なのは、「科学的に」という点である。
「幸せ」や「よく生きる」というテーマは、それまで、宗教や哲学や自己啓発が扱ってきた。
科学が、こうしたテーマを真正面から研究することは、ほとんどなかった。
セリグマンは、それを変えようとした。
データを集め、実験を行い、再現性のある形で、「よく生きる」を解明していく。
これが、ポジティブ心理学の始まりだった。
ポジティブ心理学が見出した、よく生きる5つの要素
ポジティブ心理学は、その後、世界中の研究者を巻き込みながら、急速に発展していった。
そして、何千、何万という研究を積み重ねた結果、「よく生きる」を構成する要素が、徐々に見えてきた。
セリグマンは、それを5つの要素にまとめた。
要素1 ― 強みを活かす
一つ目の要素は、「強みを活かすこと」である。
自分が得意なこと、自分らしさが発揮できることを、人生の中でちゃんと使えているか。
これが、よく生きることの重要な柱になる。
たとえば、
人の話を聴くのが得意な人が、その才能を発揮できる場を持っているか
細かいことに気づくのが得意な人が、その繊細さを活かせる仕事をしているか
人を笑わせるのが得意な人が、それを発揮できる関係を持っているか
自分の強みが、人生のどこにも活きていない状態は、たとえ恵まれた環境にいても、満たされない。
逆に、自分の強みが日々発揮できていれば、外側の条件が完璧でなくても、深い満足感がある。
要素2 ― フロー
二つ目は、「フロー体験」と呼ばれるものである。
これは、ハンガリーの心理学者チクセントミハイが研究した概念で、「時間を忘れて没頭する体験」のことを指す。
絵を描いていて、気づいたら何時間も経っていた。
スポーツに集中していて、周りの音が聞こえなくなっていた。
料理をしていて、無心で手が動き続けていた。
こうした「没頭」の時間が、人生の中で定期的にあるかどうか。
これが、「よく生きる」の質を大きく左右する。
フロー体験は、それ自体が深い満足感を生むだけでなく、その人の生きるエネルギーそのものを充電してくれる。
毎日が「ただこなしている」だけになっていると、フローはほとんど起きない。
意識的に、自分が没頭できるものを、人生の中に確保する必要がある。
要素3 ― 意味
三つ目は、「意味」である。
自分の人生に、自分なりの意味を見出せているか。
これは、ここまでの章でも繰り返し扱ってきたテーマ(2-3)である。
ポジティブ心理学は、この「意味の感覚」が、長期的な幸福感に決定的な影響を与えることを、データで示してきた。
意味を感じている人は、困難があっても折れにくい。
意味を感じていない人は、恵まれていても、満たされにくい。
これは、宗教の伝統が長く語ってきたことを、科学が後追いで確認した形でもある。
要素4 ― 関係性
四つ目は、「関係性」である。
信頼できる人とのつながりが、人生の中にあるか。
これは、人類が共通して大切にしてきた要素であり、現代の研究も、その重要性を繰り返し確認している。
ハーバード大学が80年以上にわたって続けた成人発達研究では、「人生の質を最も決めるのは、人間関係の質である」という結論が出ている。
収入でも、健康習慣でも、職業でもなく、人間関係である。
深く信頼できる人が、一人でもいるか。
心を開いて話せる相手が、いるか。
助けを求められる相手が、いるか。
これらの問いが、人生の質に直結している。
要素5 ― 達成
五つ目は、「達成」である。
自分が大切だと思うことを、なにかしら成し遂げているか。
ここで大事なのは、「自分が大切だと思うこと」という前提である。
社会が認める達成ではなく、自分が大切だと感じるものを、自分なりに成し遂げる感覚。
たとえば、
子育てを大切だと思っている人にとっての、子育てを続けられている実感
健康を大切だと思っている人にとっての、日々の運動を続けられている実感
学びを大切だと思っている人にとっての、一冊の本を読み終えた実感
これらは、世間の物差しでは測れないが、本人にとっては大きな達成である。
達成の感覚は、自己効力感を育て、次の挑戦への力にもなる。
人生のどこかに、自分なりの達成の感覚があることは、よく生きるための重要な要素である。
これらは、PERMAモデルとして体系化されている
セリグマンは、この5つの要素の頭文字をとって、「PERMA」と呼んだ。
Positive Emotion(ポジティブな感情)― 強みを活かす中で生まれる感覚を含む
Engagement(エンゲージメント)― フロー体験
Relationships(関係性)
Meaning(意味)
Achievement(達成)
このPERMAモデルは、いまでは世界中のポジティブ心理学の現場で、共通言語として使われている。
「私の人生は、いまどうか?」と問うとき、5つの観点でチェックできる。
強みを、活かせているか
没頭している時間が、あるか
信頼できる関係が、あるか
意味を、感じられているか
自分なりの達成が、あるか
この5つを、定期的に振り返ることで、自分の人生が、いまどんな状態にあるかを、解像度高く把握できる。
ポジティブ心理学の最大の貢献は、「分解した」こと
ポジティブ心理学の貢献は、何千年も人類が問い続けてきた「よく生きる」を、5つの要素に分解したことにある。
「よく生きる」と一言で言うと、あまりに大きすぎる。
どこから手をつけていいか、分からない。
だから、多くの人が、何となく不満を抱えながら、何となく日々を過ごすことになる。
だが、5つに分解されていれば、話は変わる。
強みは、活かせているか
フローは、感じられているか
関係性は、深まっているか
意味は、見出せているか
達成は、自分の中であるか
このように、ひとつずつ自分に問えるようになる。
そして、不足している要素が見つかれば、そこに意識を向けていく。
抽象的だった「よく生きる」が、具体的なチェックリストになる。
これが、ポジティブ心理学の最大の貢献である。
そして、これは、ソクラテスやブッダの教えと、対立するものではない。
むしろ、彼らの知恵を、日常で活用しやすい形に翻訳してくれているとも言える。
ソクラテスは「吟味せよ」と言った。
ポジティブ心理学は、「こういう観点から吟味するといいよ」という地図を提供してくれている。
ブッダは「意識を扱う技術」を教えた。
ポジティブ心理学は、「その技術を、5つのどの領域に向けるか」を整理してくれている。
古典の知恵と、現代科学の知見は、補い合うものである。
どちらかを選ぶのではなく、両方を持つことで、「よく生きる」への解像度が深まる。
WellGrowは、この5つを大切にしている
WellGrowの設計には、このPERMAの5つの要素が、しっかりと織り込まれている。
毎日のアクティビティや対話の中で、
自分の強みに気づき、活かす視点を持つ
没頭できる体験を、人生に組み込んでいく
大切な人との関係を、丁寧に育てる
人生の意味を、少しずつ自分のことばで作り上げていく
自分なりの達成を、ちゃんと味わう
こうした要素を、自然と扱えるように設計されている。
「よく生きる」というあまりに大きなテーマを、毎日の小さな問いと振り返りに、分解して落とし込む。
そして、それを毎日続けていけるようにする。
これが、古典思想と現代科学の両輪で、WellGrowが目指していることである。
ソクラテス、ブッダ、縁起、そしてポジティブ心理学。
時代も場所もまったく違うこれらの知恵が、不思議なほど、同じ方向を指している。
「人間がよく生きるためには、こういう要素が大事だ」という、長い人類の答え合わせのようにも見える。
WellGrowは、これらの答えのエッセンスを、毎日3分の対話の中で、少しずつ自分のものにしていく場である。
古い知恵も、新しい科学も、どちらもあなたの「よく生きる」を支えるために、ここにある。