第 1 章 ― 私たちは、どこにいるのか
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日本の教育が教えなかったこと
ここまで、現代を生きることの構造的な難しさを、いくつかの角度から見てきた。
ここで、もうひとつ、現代人の生きづらさの大きな要因に踏み込みたい。
日本の教育である。
これは、教育を批判する話ではない。むしろ、日本の教育は、世界的に見ても、驚くべき成果を上げてきた。
ただ、その成功の影で、教えられてこなかった領域がある。そして、その領域こそが、現代を生きるうえで決定的に重要になっている、という話である。
戦後の日本の教育は、驚くべき成果を上げた
まず、日本の教育の素晴らしさを、ちゃんと認めておきたい。
戦後の焼け野原から、日本は世界トップクラスの教育システムを築き上げた。
識字率は、ほぼ100%
基礎学力は、国際比較で常に世界トップクラス
計算力、読解力、科学リテラシーが、社会全体に行き渡っている
時間を守る、約束を守る、規律を保つ ― こうした基本姿勢が、教育を通じて身についている
世界には、まだ字が読めない大人が大勢いる国もある。基礎的な算数ができないまま社会に出る若者が多い国もある。
そう考えれば、日本の教育が達成してきたことは、まぎれもなく偉大である。
問題は、教育の「中身」ではなく、教育が「何を扱ってこなかったか」にある。
教育が教えてこなかった、4つの重要な能力
教育が、意図的にではないにせよ、結果として教えてこなかった領域がある。
そして、その領域は、現代を生きるうえで、決定的に大事な4つの能力に重なっている。
1. 問いの立て方
教育は、答えの出し方を、徹底的に教えてくれる。
方程式を解く方法。
歴史の出来事の年代。
英語の文法ルール。
正しい段落の書き方。
「答えに到達する」ための訓練は、12年間にわたって繰り返される。
だが、もうひとつ、まったく別の能力がある。
「何を問うか」という能力である。
自分は、何を疑問に思っているのか
この状況で、いま立てるべき問いは何か
この人生で、自分が向き合うべき問いは何か
こうした「問いの立て方」は、ほとんど教えられない。
問題を「与えられる」ことばかりに慣れた結果、自分で問題を「見つける」のが苦手な大人ができあがる。
2. 自己対話の技術
学校では、コミュニケーションを学ぶ。
人前で発表する。
グループで議論する。
作文で考えを表現する。
他人の話を聞いて理解する。
これらは、他者との対話の技術である。
だが、もうひとつの対話 ― 自分自身との対話 ― は、ほとんど教えられない。
自分が、いま何を感じているのか
自分が、本当はどうしたいのか
自分の中で、どんなことばが流れているのか
私たちは一日に数万回、自分自身に話しかけている(後の章で詳しく扱う)。
だが、その自己対話の質をどう高めるかは、誰からも教わってこない。
結果として、他人とは普通に話せるのに、自分とはうまく話せない大人ができあがる。
3. 意識のコントロール
学校では、「集中しなさい」「気を散らさないで」と何度も言われる。
だが、どうすれば集中できるのか。
注意を、どう向ければいいのか。
気が散ったとき、どう意識を取り戻せばいいのか。
こうした「意識のコントロール」の具体的な方法は、教えられない。
「集中しなさい」は、結果の指示であって、方法の指示ではない。
「ちゃんとしなさい」と言われても、どうすればちゃんとできるのかは分からない。
意識をどう向け、どう保ち、どう切り替えるか ― これは、本来、技術として教えられるべき領域である。
だが、ほとんどの人は、自己流でこれを身につけている。あるいは、身につけられないまま、大人になっている。
4. 自分の価値基準を作る方法
学校では、無数の「正解」を教えてくれる。
算数の正解
歴史の正解
道徳の正解
望ましい進路の正解
いい仕事の正解
正解の出し方は、徹底的に訓練される。
だが、「自分にとっての正解」を、どう作ればいいのか。
これは、教えられない。
自分は、何を大事にして生きたいのか
何を「よし」とし、何を「よくない」とするのか
他人が良いと言うものを、自分はどう判断するのか
こうした「自分の価値基準を作る方法」は、誰も教えてくれない。
結果として、社会が用意した正解には到達できるのに、自分の正解を作れない大人ができあがる。
なぜ、これらが教えられてこなかったのか
これは、教師が悪いとか、文部科学省が悪いという話ではない。
教育の設計思想そのものが、別の目的を持っていたのである。
戦後の日本の教育は、産業社会のための人材育成を目的として設計された。
戦後の日本は、経済を立て直さなければならなかった。
そのためには、規格化された人材を、大量に、効率よく育てる必要があった。
工場で正確に作業ができる人。
事務処理を間違いなくこなす人。
組織のルールに従って動ける人。
与えられた問題を、決められた手順で解ける人。
こうした人材を、大量に育てることが、戦後日本の経済成長を支えた。
だから、教育では「自分で考える」よりも「正解に到達する」が重視された。
これは、当時の社会の要請に対する、合理的な選択だった。
そして、この選択は、確かに機能した。
日本は奇跡的な経済成長を遂げ、世界の主要国の一つになった。
教育は、その時代の役割を、確かに果たしたのである。
だが、社会は産業社会から情報社会へと移行した
問題は、社会の方が、変わってしまったことである。
産業社会から、情報社会へ。
ものを作ることから、価値を作ることへ。
正解のある世界から、正解のない世界へ。
現代の社会で、私たちが直面する問題のほとんどには、唯一の正解がない。
どんなキャリアを選ぶか
誰と結婚するか
子どもをどう育てるか
何にお金を使うか
どんな人生を生きるか
何を信じるか
どんな情報を取り入れるか
これらに、教科書的な正解は存在しない。
それぞれが、自分の頭で考え、自分の基準で選び、自分の答えを作るしかない。
つまり、現代を生きるうえで本当に必要な能力は、教育が教えてくれてきたものとは、別物になっている。
答えに到達する力 → 問いを立てる力
他人と話す力 → 自分と話す力
集中する力 → 意識を向け先を選ぶ力
正解を出す力 → 自分の基準を作る力
時代が変わったのに、教育のOSは、まだ更新されていない。
教育の遅れが、現代人の生きづらさの一因になっている
ここに、現代人の生きづらさの、構造的な要因のひとつがある。
産業社会の時代に作られた能力で、情報社会を生きようとしている。
だから、うまくいかない。
答えは出せるのに、自分が何を問いたいのかが分からない
他人とは話せるのに、自分とどう向き合えばいいか分からない
仕事に集中はできるのに、人生の何に注意を向けるべきかが分からない
社会の評価基準では成功しているのに、自分にとっての成功が分からない
これは、個人の能力不足ではない。
教育がカバーしてこなかった領域に、誰もが取り残されているのである。
「もっと頑張れば、答えが見つかる」というアプローチは、ここでは通用しない。
頑張る能力を鍛えてきた人ほど、「頑張っているのに、何かが満たされない」という違和感に陥る。
それは、頑張りが足りないからではなく、頑張る方向が違うからである。
WellGrowは、教育が補えなかった領域を、大人になってから補える場
WellGrowは、ここに対する、ひとつの答えとして設計されている。
教育が教えてこなかった4つの能力 ― 問いの立て方、自己対話の技術、意識のコントロール、自分の価値基準を作る方法。
これらは、大人になってからでも、身につけられる。
むしろ、人生経験を積んだ大人だからこそ、深く取り組める領域でもある。
毎日3分、自分との対話の時間を持つ。
AIから返ってくる問いに、自分なりに向き合う。
今日の自分に注意を向け、いまの自分の感覚を確かめる。
何を大事にしたいかを、自分のことばで確認する。
これを毎日繰り返すことが、教育が補えなかった4つの能力を、少しずつ育てていく。
学校で12年間かけて、答えの出し方を訓練したように。
WellGrowで毎日3分、自分に向き合う訓練をする。
教育の遅れを嘆くのではなく、いまから補っていく。
それが、現代を生きる大人にとっての、もうひとつの学びである。
そして、この学びには、終わりがない。
死ぬまで、ずっと深めていける領域でもある。
WellGrowは、その一生続く学びの、毎日のパートナーとして存在している。