第 1 章 ― 私たちは、どこにいるのか
1-9
物質・エネルギー・情報 ― 世界を3つの側面から見る
ここまで、人類が辿ってきた営みを、いろいろな角度から眺めてきた。
ここで一度、視点を切り替えてみたい。
私たちが生きている「世界」そのものを、どう見るか。世界の見方が変わると、何が大事なのか、何にエネルギーを注ぐべきかも、変わってくる。
世界は、3つのものが絡み合って成り立っている
世界は、大きく分けて、3つのものが絡み合って成り立っている。
物質触れられるもの。形を持つもの。体、食べ物、建物、道具、地球、宇宙の星々。重さがあり、場所を占めるもの。
エネルギー動かす力。働きかける力。電気、熱、運動、光。形は持たないが、物質を動かす。
情報構造、意味、関係性。知識、ことば、記憶、データ、設計図、文化、価値観。形も重さも持たないが、確かに「ある」もの。
この3つは、別々に独立して存在しているわけではない。互いに変換され、互いを動かし、絡み合いながら、世界を作っている。
物質はエネルギーに変わり、エネルギーは物質を動かす。情報は物質に書き込まれ、エネルギーを使って処理される。そして、情報があるからこそ、物質とエネルギーは意味を持って動く。
世界を見るとき、この3つの絡み合いを意識すると、いろいろなことの見え方が変わってくる。
物質とエネルギー ― 古典物理学の中心
物質とエネルギーは、長らく物理学の中心テーマだった。
物質は、質量を持つ。手で触れられ、目で見られる。エネルギーは、仕事をする力である。物質を動かし、変化させる。
19世紀までは、物質とエネルギーは別のものだと考えられていた。
それを統合したのが、アインシュタインだった。
E=mc²
この有名な式は、物質とエネルギーは互いに変換可能だ、ということを示していた。物質は凝縮されたエネルギーであり、エネルギーは解き放たれた物質である。
世界の根本にあるのは、物質とエネルギーの相互変換だ ― これが、20世紀前半までの世界観だった。
20世紀後半から、情報が独立した第三の何かとして現れた
ところが、20世紀後半から、ある奇妙な事実が浮上してきた。世界には、物質でもエネルギーでもない、第三の何かが確かに「ある」のではないか。
それが、情報である。
DNAは、生命の設計図という形の情報だった。コンピュータは、情報を処理する機械として誕生した。インターネットは、情報を世界中に流通させる仕組みになった。AIは、情報から知性そのものを生成し始めた。
物質でもエネルギーでもないものが、世界を動かしている。この感覚が、20世紀後半から、はっきりと立ち上がってきた。
"It from Bit" ― ジョン・ホイーラーが投げた問い
ここで、ひとり、20世紀の偉大な物理学者の考え方を、紹介しておきたい。
アメリカの物理学者、ジョン・アーチボルド・ホイーラー。
ホイーラーは、晩年に、ひとつの印象的なフレーズを残した。
"It from Bit"
直訳すれば、「物体は、情報から生じる」となる。
物理的な「もの(It)」は、情報の単位である「ビット(Bit)」から生まれているのではないか ―ホイーラーは、そう考えた。
ここでいう「ビット」は、コンピュータの0と1のような、情報の単位を指している。
ホイーラーは、こう問いを立てた。宇宙の根本には、物質そのものよりも、観測、選択、問いへの答えといった、情報的な構造があるのではないか。
たとえば、電子が「どこにあるか」という性質も、最初から完全に決まった物体の属性ではなく、観測によって得られる情報として理解できる ―ホイーラーは、そういう方向の考え方を提示した。
正しいかどうかは、まだわからない ― だが、情報の重要さは確かだ
"It from Bit" の考え方が、本当に正しいかどうかは、現代の物理学でも、まだ結論が出ていない。
「物質の前に、情報がある」という主張は、刺激的だが、確証されたわけではない。
それでいい。
大事なのは、「正しいかどうか」ではない。これほどの物理学者が、こう考えたという事実そのものに、意味がある。
少なくとも、ホイーラーが投げかけたのは、こういうメッセージだ。
世界を理解するうえで、情報は、物質と同じくらい大事である。
ここまでは、確実に言える。
物質だけで世界を見る時代は、もう終わっている。情報を、ちゃんと一つのものとして、視野に入れる必要がある ― この感覚を、20世紀後半の最先端の物理学が、強く伝えてきた。
1955年前後 ― 物質中心から、情報中心の世界観へ
ホイーラーがこうした考えに向かい始めた時代、つまり20世紀の半ばは、人類の世界観そのものが、大きく動き出していた時期でもある。
象徴的な年代を、いくつか並べてみたい。
1948年 ― クロード・シャノンによる「情報理論」の発表1953年 ― DNAの二重らせん構造の発見1950年代 ― コンピュータの実用化が進む
これらが、ほぼ同じ時期に重なっているのは、偶然ではない。
世界の根本に、情報という何かがあるかもしれない、という発想が、いろいろな分野から、ほぼ同時に湧き上がっていた時代だったのだ。
物質中心の世界観から、情報中心の世界観へ。人類の見方は、この時期を境に、ゆっくりと動き出した。
そして、その流れの先端で、ホイーラーは "It from Bit" という、もっとも象徴的なことばを残した。
アトム(物質)から、ビット(情報)へ ― 世界の見方の転換
この変化を、もっとも分かりやすく言語化したのが、ひとりの研究者だった。
ニコラス・ネグロポンテMITメディアラボの創設者である。
ネグロポンテは、1995年に『ビーイング・デジタル ― ビットの時代』という本を出版した。この本の中で、彼が繰り返し使ったフレーズが、後に世界中で引用されることになる。
「アトム(物質)から、ビット(情報)へ」
世界を理解する単位が、これまでの物質(アトム)から、情報(ビット)へと、不可逆に移っていく。ネグロポンテは、そう言い切った。
この本は、出版された1995年に世界的ベストセラーになり、デジタル時代の本質を解き明かした名著として、いまも読み継がれている。
20世紀後半以降、経済も、産業も、文化も、生活も、すべてが情報を中心に動くようになった。
経済の中心は、製造業からITへと移った。ビジネスの価値の源泉が、物質的な商品から、知識やデータへとシフトした。個人の生活も、物質を所有することよりも、情報にアクセスすることが中心になっていった。
ネグロポンテが30年前に予言した「アトムからビットへ」の流れは、いまや、私たちの日常そのものになっている。
「世界は情報でできている」と感じる時代に、私たちは、いま、生きている。
物質とエネルギーは、ちゃんと扱えるようになった ― だが、情報はまだ扱えていない
ここで、物質、エネルギー、情報の3つを、もう一度並べて見てみたい。3つを比べてみると、ひとつ大事なことが見えてくる。
物質は、ちゃんと扱えるようになった。
人類は、物質の性質を研究し尽くしてきた。重さがある、形がある、質量がある ― 物質が「存在する」ということに、誰も疑いを持たない。
だから、どう測り、どう管理し、どう動かすかも、整備されてきた。食料の流通、物流、製造業、建築、医療 ― 物質を適切にマネジメントする仕組みは、長い時間をかけて作り上げられた。
エネルギーも、ちゃんと扱えるようになった。
19世紀以降、人類はエネルギーを「存在するもの」として認識し、計測し、変換する方法を見つけた。
電気を発電し、送電網で各家庭に届ける。熱を制御し、冷暖房で温度を整える。運動エネルギーを車に、化学エネルギーを電池に変える。
エネルギーは、いまや、ボタンひとつでコントロールできるものになった。
ところが、情報だけは、まだ扱えていない。
これが、現代の最も大きな盲点である。
情報は、確実に存在している。ことば、知識、ニュース、SNSの投稿、データ、画像、動画 ― 私たちは毎日、膨大な情報の中で生きている。情報が、人間の感情を動かし、行動を変え、人生を左右していることも、誰もが感じている。
それなのに、科学の世界でも、社会の仕組みでも、情報を「物質やエネルギーと同じレベルで存在するもの」として、まだ十分に扱えていない。
情報をどう測り、どう管理し、どう適切に届けるか ―この仕組みが、決定的に未整備のままである。
電気は、発電所で作られて、送電網を通って、適切な量だけ家庭に届く。電圧も、周波数も、安全基準も、すべて管理されている。
ところが、情報には、そんな送電網がない。発信源も、量も、質も、ほとんど制御されないまま、すべての人に、無差別に流れ込んでくる。
だから、情報の側面で、いま、いろいろな問題が起きている。
現代の大きな問題の多くは、情報の側面で起きている
ここが、決定的に重要な認識である。
現代の私たちが感じている「生きづらさ」「疲れ」「不安」のかなりの部分は、物質やエネルギーの問題ではない。情報の側面で起きている。
SNS疲れ ― 情報の側面情報不安 ― 情報の側面注意の分散 ― 情報の側面意識の浪費 ― 情報の側面比較による消耗 ― 情報の側面(他人の情報との比較)将来への漠然とした不安 ― 情報の側面(未来予測という情報)
体は満たされているのに、心が疲れている。家には何でもあるのに、満足感がない。便利になっているのに、忙しさが増している。
この一見矛盾した状況は、情報の側面で起きていることに目を向けないと、説明がつかない。
私たちが生きる主戦場は、もはや情報の側面
人類の歴史の大半は、物質との闘いだった。
食料を確保する。寒さから身を守る。病気と戦う。
物質を確保することが、生きることの中心だった。
だが現代、少なくとも生活基盤が整った場所では、物質との闘いは一段落した。
代わりに、私たちが日々向き合っている主戦場は、情報の側面に移っている。
朝起きてスマホを見る。通勤中にニュースを浴びる。仕事中にメッセージが流れ込む。帰宅後にSNSを見る。寝る前まで、情報を浴び続ける。
一日のほとんどが、情報の側面で展開されている。
物質的には十分豊かなのに、情報の中で迷っている。これが、現代を生きる人の典型的な姿である。
だから、情報をどう扱うかが、決定的に重要になる
主戦場が情報の側面に移ったなら、勝負を分けるのは、情報をどう扱うかである。
どんな情報を、自分に入れるかどんな情報に、注意を向けるかどんな情報を、信じるかどんな情報を、自分の中で組み立てるかどんな情報を、自分から発信するか
これらすべてが、現代を生きる質を決める。
そして、情報を扱うことの最も根本にあるのが、「意識をどう向けるか」である。
意識は、情報の入口であり、情報の処理装置であり、情報の出口である。意識を扱う力が、情報の海を生きる力に直結する。
WellGrowが扱う領域は、まさに情報の側面
WellGrowが扱っているのは、まさにこの情報の側面である。
物質の問題には、医療や食料が応える。エネルギーの問題には、産業や技術が応える。
だが、情報の側面で起きている、現代の最も深刻な問題には、まだ十分な仕組みがない。
注意をどう向けるか。ことばをどう扱うか。情報の洪水の中で、自分の意識をどう守るか。自分にとって大事な情報を、どう選び取るか。
これらに毎日少しずつ向き合える場が、現代には必要になっている。
物質が豊かになった次に、人類が向き合う領域は、情報の側面である。そして、情報の側面を生き抜くためには、意識を扱う技術が必要になる。
WellGrowは、その技術を、毎日3分の対話で育てていく場である。
世界を、物質・エネルギー・情報という3つの絡み合いで見たとき、現代を生きる私たちが最も整える必要があるのは、間違いなく情報の側面 ― そしてその根本にある、意識の使い方である。