第 1 章 ― 私たちは、どこにいるのか
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物質・エネルギー・情報 ― 世界を3つの側面から見る
ここまで、人類が辿ってきた営みを、いろいろな角度から眺めてきた。
ここで一度、視点を切り替えてみたい。
私たちが生きている「世界」そのものを、どう見るか。
世界の見方が変わると、何が大事なのか、何にエネルギーを注ぐべきかも、変わってくる。
世界は、3つのものが絡み合って成り立っている
世界は、大きく分けて、3つのものが絡み合って成り立っている。
物質
触れられるもの。形を持つもの。
体、食べ物、建物、道具、地球、宇宙の星々。
重さがあり、場所を占めるもの。
エネルギー
動かす力。働きかける力。
電気、熱、運動、光。
形は持たないが、物質を動かす。
情報
構造、意味、関係性。
知識、ことば、記憶、データ、設計図、文化、価値観。
形も重さも持たないが、確かに「ある」もの。
この3つは、別々に独立して存在しているわけではない。
互いに変換され、互いを動かし、絡み合いながら、世界を作っている。
物質はエネルギーに変わり、エネルギーは物質を動かす。
情報は物質に書き込まれ、エネルギーを使って処理される。
そして、情報があるからこそ、物質とエネルギーは意味を持って動く。
世界を見るとき、この3つの絡み合いを意識すると、いろいろなことの見え方が変わってくる。
物質とエネルギー ― 古典物理学の中心
物質とエネルギーは、長らく物理学の中心テーマだった。
物質は、質量を持つ。手で触れられ、目で見られる。
エネルギーは、仕事をする力である。物質を動かし、変化させる。
19世紀までは、物質とエネルギーは別のものだと考えられていた。
それを統合したのが、アインシュタインだった。
E=mc²
この有名な式は、物質とエネルギーは互いに変換可能だ、ということを示していた。物質は凝縮されたエネルギーであり、エネルギーは解き放たれた物質である。
世界の根本にあるのは、物質とエネルギーの相互変換だ ― これが、20世紀前半までの世界観だった。
20世紀後半から、情報が独立した第三の何かとして現れた
ところが、20世紀後半から、ある奇妙な事実が浮上してきた。
世界には、物質でもエネルギーでもない、第三の何かが確かに「ある」のではないか。
それが、情報である。
DNAは、生命の設計図という形の情報だった。
コンピュータは、情報を処理する機械として誕生した。
インターネットは、情報を世界中に流通させる仕組みになった。
AIは、情報から知性そのものを生成し始めた。
物質でもエネルギーでもないものが、世界を動かしている。
この感覚が、20世紀後半から、はっきりと立ち上がってきた。
"It from Bit" ― ジョン・ホイーラーが投げた問い
ここで、ひとり、20世紀の偉大な物理学者の考え方を、紹介しておきたい。
アメリカの物理学者、ジョン・アーチボルド・ホイーラー。
ホイーラーは、晩年に、ひとつの印象的なフレーズを残した。
"It from Bit"
直訳すれば、「物体は、情報から生じる」となる。
物理的な「もの(It)」は、情報の単位である「ビット(Bit)」から生まれているのではないか ―
ホイーラーは、そう考えた。
ここでいう「ビット」は、コンピュータの0と1のような、情報の単位を指している。
ホイーラーは、こう問いを立てた。
宇宙の根本には、物質そのものよりも、観測、選択、問いへの答えといった、情報的な構造があるのではないか。
たとえば、電子が「どこにあるか」という性質も、最初から完全に決まった物体の属性ではなく、観測によって得られる情報として理解できる ―
ホイーラーは、そういう方向の考え方を提示した。
正しいかどうかは、まだわからない ― だが、情報の重要さは確かだ
"It from Bit" の考え方が、本当に正しいかどうかは、現代の物理学でも、まだ結論が出ていない。
「物質の前に、情報がある」という主張は、刺激的だが、確証されたわけではない。
それでいい。
大事なのは、「正しいかどうか」ではない。
これほどの物理学者が、こう考えたという事実そのものに、意味がある。
少なくとも、ホイーラーが投げかけたのは、こういうメッセージだ。
世界を理解するうえで、情報は、物質と同じくらい大事である。
ここまでは、確実に言える。
物質だけで世界を見る時代は、もう終わっている。
情報を、ちゃんと一つのものとして、視野に入れる必要がある ― この感覚を、20世紀後半の最先端の物理学が、強く伝えてきた。
1955年前後 ― 物質中心から、情報中心の世界観へ
ホイーラーがこうした考えに向かい始めた時代、つまり20世紀の半ばは、人類の世界観そのものが、大きく動き出していた時期でもある。
象徴的な年代を、いくつか並べてみたい。
1948年 ― クロード・シャノンによる「情報理論」の発表
1953年 ― DNAの二重らせん構造の発見
1950年代 ― コンピュータの実用化が進む
これらが、ほぼ同じ時期に重なっているのは、偶然ではない。
世界の根本に、情報という何かがあるかもしれない、という発想が、いろいろな分野から、ほぼ同時に湧き上がっていた時代だったのだ。
物質中心の世界観から、情報中心の世界観へ。
人類の見方は、この時期を境に、ゆっくりと動き出した。
そして、その流れの先端で、ホイーラーは "It from Bit" という、もっとも象徴的なことばを残した。
アトム(物質)から、ビット(情報)へ ― 世界の見方の転換
この変化を、もっとも分かりやすく言語化したのが、ひとりの研究者だった。
ニコラス・ネグロポンテ
MITメディアラボの創設者である。
ネグロポンテは、1995年に『ビーイング・デジタル ― ビットの時代』という本を出版した。
この本の中で、彼が繰り返し使ったフレーズが、後に世界中で引用されることになる。
「アトム(物質)から、ビット(情報)へ」
世界を理解する単位が、これまでの物質(アトム)から、情報(ビット)へと、不可逆に移っていく。
ネグロポンテは、そう言い切った。
この本は、出版された1995年に世界的ベストセラーになり、デジタル時代の本質を解き明かした名著として、いまも読み継がれている。
20世紀後半以降、経済も、産業も、文化も、生活も、すべてが情報を中心に動くようになった。
経済の中心は、製造業からITへと移った。
ビジネスの価値の源泉が、物質的な商品から、知識やデータへとシフトした。
個人の生活も、物質を所有することよりも、情報にアクセスすることが中心になっていった。
ネグロポンテが30年前に予言した「アトムからビットへ」の流れは、いまや、私たちの日常そのものになっている。
「世界は情報でできている」と感じる時代に、私たちは、いま、生きている。
物質とエネルギーは、ちゃんと扱えるようになった ― だが、情報はまだ扱えていない
ここで、物質、エネルギー、情報の3つを、もう一度並べて見てみたい。
3つを比べてみると、ひとつ大事なことが見えてくる。
物質は、ちゃんと扱えるようになった。
人類は、物質の性質を研究し尽くしてきた。
重さがある、形がある、質量がある ― 物質が「存在する」ということに、誰も疑いを持たない。
だから、どう測り、どう管理し、どう動かすかも、整備されてきた。
食料の流通、物流、製造業、建築、医療 ― 物質を適切にマネジメントする仕組みは、長い時間をかけて作り上げられた。
エネルギーも、ちゃんと扱えるようになった。
19世紀以降、人類はエネルギーを「存在するもの」として認識し、計測し、変換する方法を見つけた。
電気を発電し、送電網で各家庭に届ける。
熱を制御し、冷暖房で温度を整える。
運動エネルギーを車に、化学エネルギーを電池に変える。
エネルギーは、いまや、ボタンひとつでコントロールできるものになった。
ところが、情報だけは、まだ扱えていない。
これが、現代の最も大きな盲点である。
情報は、確実に存在している。
ことば、知識、ニュース、SNSの投稿、データ、画像、動画 ― 私たちは毎日、膨大な情報の中で生きている。
情報が、人間の感情を動かし、行動を変え、人生を左右していることも、誰もが感じている。
それなのに、科学の世界でも、社会の仕組みでも、情報を「物質やエネルギーと同じレベルで存在するもの」として、まだ十分に扱えていない。
情報をどう測り、どう管理し、どう適切に届けるか ―
この仕組みが、決定的に未整備のままである。
電気は、発電所で作られて、送電網を通って、適切な量だけ家庭に届く。
電圧も、周波数も、安全基準も、すべて管理されている。
ところが、情報には、そんな送電網がない。
発信源も、量も、質も、ほとんど制御されないまま、すべての人に、無差別に流れ込んでくる。
だから、情報の側面で、いま、いろいろな問題が起きている。
現代の大きな問題の多くは、情報の側面で起きている
ここが、決定的に重要な認識である。
現代の私たちが感じている「生きづらさ」「疲れ」「不安」のかなりの部分は、物質やエネルギーの問題ではない。
情報の側面で起きている。
SNS疲れ ― 情報の側面
情報不安 ― 情報の側面
注意の分散 ― 情報の側面
意識の浪費 ― 情報の側面
比較による消耗 ― 情報の側面(他人の情報との比較)
将来への漠然とした不安 ― 情報の側面(未来予測という情報)
体は満たされているのに、心が疲れている。
家には何でもあるのに、満足感がない。
便利になっているのに、忙しさが増している。
この一見矛盾した状況は、情報の側面で起きていることに目を向けないと、説明がつかない。
私たちが生きる主戦場は、もはや情報の側面
人類の歴史の大半は、物質との闘いだった。
食料を確保する。
寒さから身を守る。
病気と戦う。
物質を確保することが、生きることの中心だった。
だが現代、少なくとも生活基盤が整った場所では、物質との闘いは一段落した。
代わりに、私たちが日々向き合っている主戦場は、情報の側面に移っている。
朝起きてスマホを見る。
通勤中にニュースを浴びる。
仕事中にメッセージが流れ込む。
帰宅後にSNSを見る。
寝る前まで、情報を浴び続ける。
一日のほとんどが、情報の側面で展開されている。
物質的には十分豊かなのに、情報の中で迷っている。
これが、現代を生きる人の典型的な姿である。
だから、情報をどう扱うかが、決定的に重要になる
主戦場が情報の側面に移ったなら、勝負を分けるのは、情報をどう扱うかである。
どんな情報を、自分に入れるか
どんな情報に、注意を向けるか
どんな情報を、信じるか
どんな情報を、自分の中で組み立てるか
どんな情報を、自分から発信するか
これらすべてが、現代を生きる質を決める。
そして、情報を扱うことの最も根本にあるのが、「意識をどう向けるか」である。
意識は、情報の入口であり、情報の処理装置であり、情報の出口である。
意識を扱う力が、情報の海を生きる力に直結する。
WellGrowが扱う領域は、まさに情報の側面
WellGrowが扱っているのは、まさにこの情報の側面である。
物質の問題には、医療や食料が応える。
エネルギーの問題には、産業や技術が応える。
だが、情報の側面で起きている、現代の最も深刻な問題には、まだ十分な仕組みがない。
注意をどう向けるか。
ことばをどう扱うか。
情報の洪水の中で、自分の意識をどう守るか。
自分にとって大事な情報を、どう選び取るか。
これらに毎日少しずつ向き合える場が、現代には必要になっている。
物質が豊かになった次に、人類が向き合う領域は、情報の側面である。
そして、情報の側面を生き抜くためには、意識を扱う技術が必要になる。
WellGrowは、その技術を、毎日3分の対話で育てていく場である。
世界を、物質・エネルギー・情報という3つの絡み合いで見たとき、現代を生きる私たちが最も整える必要があるのは、間違いなく情報の側面 ― そしてその根本にある、意識の使い方である。