第 3 章 ― 意識の構造を、知る
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入力・処理・出力 ― 私たちは、どう動いているか
前の節で、自分との対話の質が、人生の質を決めるという話をした。
では、その「対話」は、いったいどこで起きているのか。
脳のどこかで起きていることは間違いない。
だが、もう少し構造的に、人間という存在を捉え直してみたい。
そこから、「意識」というものが、本当はどこにあるのかが見えてくる。
人間は、シンプルにいえば「入力・処理・出力」のシステム
まず、大胆な単純化から始めたい。
人間という存在は、シンプルにいえば、ひとつのシステムである。
何かを入力して、それを処理して、何かを出力する。
これを、絶えず繰り返している。
これは、生きている限り、止まることがない。
眠っている間でさえ、呼吸という入力と出力は続いている。
つまり、人間とは、入力・処理・出力のサイクルそのものなのである。
あらゆるレベルで、同じ構造が成り立っている
この構造は、人間のあらゆるレベルで、同じ形で動いている。
物理的なレベルで見れば、こうである。
酸素を吸って、エネルギーに変えて、二酸化炭素を吐き出す。
食べ物を食べて、体やエネルギーに変えて、排出する。
これは、生命としての入力・処理・出力である。
情報的なレベルで見ても、同じ構造が成り立っている。
情報を取り入れて、頭の中で考えて、アイデアやことばや行動を出す。
これは、思考としての入力・処理・出力である。
物理レベルでも、情報レベルでも、人間という存在は、同じサイクルで動いている。
だから、人間の活動はすべて、このサイクルの中で起きていると言える。
サイクルの質を上げることが、人生の質を上げること
ここに、ひとつの重要な示唆がある。
人生の質を上げたければ、入力・処理・出力のサイクルの質を上げればよい。
入力を良くする
いいものを食べる。いい情報を取り入れる。いい人と過ごす。
処理を整える
不調があれば治す。よい考え方を身につける。心身を整える。
出力を磨く
いい行動をする。いいことばを出す。誠実な選択をする。
これらは、当たり前のことのように聞こえる。
だが、実際にこれを「サイクル」として意識して整えている人は、ほとんどいない。
多くの人は、入力だけを意識する。
あるいは、出力(結果)だけを気にする。
処理の部分は、ほとんど無自覚のまま、流してしまっている。
人生の質を本当に変えたければ、入力・処理・出力のすべてを、構造として捉え直す必要がある。
そして、自分のサイクルを知り、改善していくことが大事である。
では、「意識」とは、この仕組みのどこにあるのか
ここで、本題に近づく。
人間が入力・処理・出力のシステムだとして、「意識」とは、このシステムのどこにあるのか。
入力なのか。処理なのか。出力なのか。
これは、長らく科学が向き合い続けてきた、難しい問いである。
完全な答えは、まだ出ていない。
意識がなぜ生まれるのか、その全貌を解明した理論は、現代の科学にもまだ存在しない。
だが、近年、有力な仮説のひとつとして注目されている理論がある。
グローバル・ワークスペース理論である。
グローバル・ワークスペース理論
1988年、認知科学者のバーナード・バーズが、ひとつの理論を提唱した。
「意識とは、脳の中で起きている膨大な処理を、集約してモニタリングしている状態である」
この理論を、もう少し丁寧に説明したい。
人間の脳の中では、膨大な入力・処理・出力が、いたるところで同時に進んでいる。
視覚も働いている。聴覚も働いている。触覚も働いている。
内臓も動いているし、ホルモンも分泌されているし、姿勢の制御も行われている。
これらの処理のほとんどは、無意識のまま進んでいる。
私たちは、自分の心臓の動きを意識していないし、消化の進み具合も意識していない。
その中で、重要な情報だけが、一箇所に集められる。
そして、そこでモニタリングされる。
この「集めてモニタリングしている状態」こそが、意識である。
つまり、意識は処理の中身そのものではない。
意識は、無数の処理の中から、重要なものだけを引き上げて、見ている状態のことなのである。
レモンを口に入れたとき、何が起きているか
具体例で考えてみたい。
レモンをひとかけ、口に入れたとしよう。
舌が「酸っぱい」という情報を受け取る。これが入力である。
この情報は、脳の中で処理される。
そして、その情報が「これは意識に上げるべきだ」と判断され、引き上げられる。
引き上げられて、はじめて、「酸っぱい!」と意識される。
ここで重要なのは、同じ瞬間に、ほかの無数の処理も進んでいるということである。
唾液が出ている。
顎の筋肉が動いている。
表情筋がしかめ面を作っている。
胃が消化の準備を始めている。
呼吸が一瞬止まっている。
これらは全部、処理として進んでいるのに、意識には上がってこない。
意識に上がるのは、「酸っぱい」という、ひとつの情報だけである。
つまり、意識とは、膨大な処理のうち、ほんの一部だけを取り上げて見ている、選択的な現象なのである。
意識とは、劇場のスポットライト
この構造を、バーズは劇場のメタファーで説明した。
舞台の上には、無数の役者や小道具や背景がある。
だが、観客の目に飛び込んでくるのは、スポットライトが当たった部分だけである。
舞台の残りの部分は、暗いまま、舞台の外で動いている。
役者は控えている。スタッフは準備している。だが、観客には見えない。
意識も、これと同じである。
脳の中では、無数の処理が同時に進んでいる。
だが、そのうち意識に上がるのは、スポットライトが当たった部分だけ。
残りは、暗いまま、無意識のうちに進んでいる。
意識とは、処理そのものではなく、処理の中の一部に当たるスポットライト ― そう考えると、すっきりする。
重要なのは、このスポットライトに、人間は介入できるということ
ここから、人生にとって決定的に重要な示唆が出てくる。
スポットライトの向きは、自動的に決まるわけではない。
人間は、このスポットライトを、自分で動かすことができる。
「いま、何に注意を向けるか」
「何を意識するか」
「何を見ようとするか」
これらを、人間は選ぶことができる。
これが「意識を向ける」ということの、本当の意味である。
気合の問題でも、根性の問題でもない。
スポットライトをどこに当てるかという、構造の問題である。
意識を向ける先を変えれば、処理が変わり、出力が変わる
スポットライトを動かすと、何が起きるのか。
スポットライトが当たった情報は、意識に上がり、より深く処理される。
深く処理された情報は、感情を呼び起こし、判断に影響し、行動を生む。
つまり、何にスポットライトを当てるかが、その後の処理と出力を変えていく。
たとえば、人と会ったとき。
相手の欠点にスポットライトを当てれば、苛立ちが処理として立ち上がり、冷たい態度が出力される。
相手の長所にスポットライトを当てれば、敬意が処理として立ち上がり、温かい態度が出力される。
同じ相手、同じ場面でも、スポットライトの向きで、人生が変わる。
これが、意識を扱うことの威力である。
だから、意識を扱えれば、人生は変わる
第3章として、もうひとつのテーゼをここに置きたい。
意識を扱えれば、人生は変わる。
これは、希望的な比喩ではない。
入力・処理・出力という構造から、論理的に導かれる帰結である。
人間は、入力・処理・出力のサイクルで動いている。
そのサイクルの中で、意識はスポットライトの役割を果たしている。
スポットライトの向きは、人間が自分で動かすことができる。
スポットライトの向きが変われば、処理が変わり、出力が変わる。
出力の積み重ねが、人生そのものになる。
だから、意識を扱う技術を身につければ、人生は構造的に変わっていく。
ここから先の節では、この「意識」というスポットライトを、どう扱えばいいのか、その手がかりを、ひとつずつ見ていく。
次の節では、「予測する脳」というテーマで、脳が世界をどう先読みしているのかを見ていく。
意識を扱うとは、実は、この「予測」をどう扱うかという話でもあるのである。